「年寄りだからパソコンができないんだよ」
そんな言い訳を、もう何年も聞き続けてきました。
でも、そろそろこう言ってもいいのではないでしょうか。
「それ、本当に“年齢”のせいですか?」
■ PCが“特別”だったのはもう昔の話
確かに、PCが急速に普及した90年代半ば、
マウスの操作、メールの送信、Excelの使い方──最初は誰もが手探りでした。
ですが、そこからすでに30年近くが経ちました。
職場にパソコンが入り、スマートフォンが家庭に届き、
役所の手続きもオンラインに。
その「変化の中」を高齢者自身も生きてきたはずです。
それなのに「パソコンは苦手で……」と言い続けているとしたら、
それはもはや“時代についていこうとしなかった選択”の結果なのではないでしょうか。
■ 若い頃から“アップデート”してきた人もいる
実際、70代でもIT講師をしている方がいます。
80代でYouTubeチャンネルを開設している人もいます。
それは「特別な才能」があったからではありません。
ただ、新しいものに触れる努力を、止めなかっただけなのです。
■ 成熟社会の「自己責任」の意味
高齢者だから、できないことがあって当然──
それは“甘え”と“諦め”の言葉を社会的に認めてしまっている構造とも言えます。
逆に言えば、自らの可能性を閉じてしまっている。
- なぜ触ろうとしなかったのか
- なぜ覚えようとしなかったのか
- なぜ“若い人に任せればいい”と思ってきたのか
その答えに耳をふさいできたことが、
「高齢者=PCが苦手」という偏見を自ら裏付けてしまっているのではないでしょうか。
■ 高齢者が「不便なまま」でいることのコスト
今、行政サービスも医療予約も、スマホで完結する時代です。
けれど、PCやスマホを「避けてきた人々」は、その流れに取り残されがちです。
- 銀行の窓口は減り
- 紙の申請書は廃止され
- 回覧板はLINEグループに変わっていく
「できない」の裏には、**学ばなかった“代償”**が確かに存在します。
■ ただし、責めるためではなく、自覚するために
もちろん、全ての高齢者が悪いわけではありません。
- 職場で触れる機会がなかった人
- 家族に頼られて時間がなかった人
- 一度挑戦して挫折してしまった人
様々な事情があることも事実です。
ですが、少なくとも今この瞬間から「自分には関係ない」と思うのをやめ、
もう一度、自分をバージョンアップさせようとする姿勢こそが、大人としての責任ではないでしょうか。
■ 「やればできる」は、いくつになっても本当だ
パソコン操作は特別なスキルではなく、「ちょっと触って慣れること」の積み重ねです。
- スマホで写真を撮って送ってみる
- PDFを開いて読む練習をする
- ZOOMで一度つないでみる
こうした一歩が、未来を生きる力になります。
■ まとめ:「歳だから」はもう免罪符にはならない
社会はすでにデジタルが前提。
それに対して「私は苦手です」とだけ言い続けるのは、
時代の進化を放棄しているのと同じことかもしれません。
高齢とは、「変化を拒む理由」ではない。
むしろ、「学び続けられるか」が、その人の“老い”を決める。
あなた自身のアップデートは、今この瞬間からでも始められます。
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