この頃、「多様性」や「支援」「誰ひとり取り残さない社会」など、やさしい言葉がニュースやSNSにあふれています。もちろん、こうした理念そのものに異を唱えるわけではありません。問題は、それらの言葉を看板にして公金に巧みに関わりながら、利権構造の中心にいる勢力の存在です。
「支援」という名の下に成り立つビジネス
社会的に厳しい立場にある人々を支えることは、当然ながら大切な行いです。しかし現実には、その名のもとに税金や補助金を一部の団体が独占的に扱い、「支援活動」という形で正当化しながら自らの利益に変えているケースも少なくありません。
特に目立つのは、「支援」や「人権」を掲げながら、社会問題を解決するどころか、問題を“続ける”ことによって活動資金を得る構造ができあがってしまっている点です。解決してしまえば自らの仕事が消えてしまう──そんな皮肉な現実があります。
静かに構築される「正義の物語」
これらの構造の中核には、非常に頭の切れる人物が存在していることが多く、法律、制度、言葉の力を巧みに使いこなします。「やさしい正論」で世論を誘導し、自らの正しさを強調する一方で、資金面では公的予算を巧妙に取り込む構造をつくりあげます。
さらに厄介なのは、支援を受けた人たちも「活動の一部」として取り込まれてしまうことです。結果として、「良いことをしている」「自分は正義の側だ」という感覚が、構造そのものへの疑問を覆い隠していきます。
「異論」を封じるレッテル構造
このような活動に対して異論を唱えると、「差別主義者」「ヘイト」「時代遅れ」などといったレッテルが貼られ、言論自体が封じられてしまう風潮が強まっています。これこそが“正義の皮”をかぶった活動ビジネスの最大の防御壁です。
「多様性に異議を唱えるのか?」「支援を批判するなんてひどい」──そうした反論を恐れ、普通の人々は声を上げづらくなり、その隙に構造はより強固になります。
“正義”の名のもとに築かれる行政との癒着
こうした活動ビジネスの怖さは、民間だけで完結せず、行政との連携という名の“癒着”が起きやすい点にもあります。補助金の審査委員、アドバイザー、協議会の委員──顔ぶれを見ると、関係者同士がポストを回し合っているような例も少なくありません。
一見して「市民の声が行政に届いている」と思わせる構図ですが、実際はごく一部の意見と人脈だけで制度が動いてしまっている。本当に困っている人の声は、かえって届きにくくなる──そんな矛盾すら生まれているのです。
本当の支援とは何か
やさしい言葉が支配する時代において、本当の支援とは「気分」や「理念」ではなく、現実と向き合いながら「誰に」「何を」「どう届けるか」を具体的に考え、計画的に行動することにほかなりません。
「正義の名を借りて動く人」がすべて怪しいわけではありませんが、声の大きな“活動ビジネス”が公金に関わる構造には、常に冷静な視点が必要です。
疑問を持つことが、健全な社会の第一歩
一部の勢力が「自分たちこそが正しい」と言い切るその時こそ、私たちは疑問を持つべきです。どんなにきれいな言葉でも、それが「批判を許さない空気」をつくるなら、それは健全とは言えません。
本当に大切なのは、疑問を口にできる社会であり、「正しさ」を独占しない対話の姿勢なのです。
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