なぜ高齢になると仕事に真面目になるのか──“手抜き”から“丁寧さ”へ変わる心の風景

倉庫作業 こころと生き方

若いころ、自営業をしていた私は、できるだけ仕事を「効率よく」「楽に」こなすことばかりを考えていました。手を抜くというよりも、力の抜きどころを見極めるような感覚でした。成果を出すことが第一で、やるべきことはやるが、やらなくて済むことには時間も気力も割かない。そんな仕事の仕方が、ある種の“処世術”のように思えていたのです。

ところが──。

高齢になってからは、まったく同じような仕事でも、なぜか以前よりも丁寧に、真面目に取り組むようになっていました。決して誰かに強いられたわけでもなく、報酬が増えたわけでもありません。ただ、気がつくと「やらなくてもいいような細かいこと」にまで手を出していたり、時間をかけて掃除したり、頼まれていないことまでやっていたり。

「昔の自分なら、ここまではやらなかったな」と、ふと我に返ることもあります。

変化の理由は“周囲の目”?

自分でも不思議に思い、なぜこんなふうに変わったのかを考えてみました。いくつかの理由が浮かびました。

まず一つは、やはり「若い人の中で働く機会が増えたこと」です。高齢者として、少しでも役に立ちたい、邪魔になりたくない、そういう気持ちが自然と真面目さにつながっているのかもしれません。「年寄りでもちゃんとやれる」という姿を見せたいという気持ち。これはある意味で、承認欲求の一種かもしれません。

年齢を重ねるにつれ、「評価されたい」ではなく「足を引っ張りたくない」という気持ちのほうが強くなってきます。そしてその結果として、まじめに、丁寧に、慎重に仕事をするようになる。これは自分を守るための防御本能でもあるのかもしれません。

“まだやれる”という自分への確認

もうひとつの理由は、「まだやれる自分を確かめたい」という、自己確認の気持ちです。

歳をとると、思い通りにいかないことが増えてきます。体力の衰え、物覚えの悪さ、反応の鈍さ──若いころにはなかった“壁”が日々の中に現れます。そんな中で仕事を通して「自分はまだ役に立てる」「まだ社会とつながっている」という実感を得られることは、何よりの励みになるのです。

手抜きをしないのは、「もっとできる自分」でいたいから。これは、誰に見せるためでもなく、自分自身に対する証明なのかもしれません。

時間の重みが変わった

若いころは、仕事が終われば“本番の時間”が始まるような感覚がありました。趣味、遊び、家族との時間──自分のための自由時間を確保するために、できるだけ早く仕事を終えるのが当然だったのです。

しかし、高齢になるとその“自由時間”の質が変わります。忙しさや刺激を求めるよりも、淡々とした日常を味わいたい。そうなると、むしろ仕事の中にこそ、やりがいや張り合いを見出すようになるのです。つまり、「仕事があること」自体が、自分の生活の柱になっていく。

そんな中で、どうせやるなら丁寧に、真面目に取り組みたい。そう感じるのは、ごく自然な流れではないでしょうか。

“最後の仕事”という意識

そして、もう一つ忘れてはならないのが、「これが人生の最後の仕事かもしれない」という意識です。

自営業時代には、仕事は無限に続くと思っていました。終わりなど考えもしなかった。でも今は違います。次があるかどうかはわからない。今やっているこの仕事が、もしかしたら自分の「最後の仕事」になるかもしれない。

そう思うと、自然と手を抜けなくなります。悔いを残したくない。いい仕事をして、納得して終わりたい──そんな気持ちが湧き上がってくるのです。

手抜きではなく、丁寧に生きたいだけ

高齢者が仕事に真面目になるのは、何も“意識が高い”からではありません。自分の残りの時間を、誠実に、納得して使いたいという、ごく当たり前の願いがあるだけです。

若いころのように、速さや効率を追い求めるのではなく、今はただ、ひとつひとつの仕事を丁寧に仕上げたい。ミスなく、誰かのために、きちんと終わらせたい。それが、人生の最終章を生きる私たちの自然な仕事観なのかもしれません。

そしてその姿勢は、きっと周囲にも伝わります。派手な結果や目立つパフォーマンスではなく、静かに、確かに、信頼を積み重ねるような仕事。それこそが、今の私たちにできる一番の「仕事」なのかもしれません。

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