やりたかったけどやれなかった──そんな後悔に折り合いをつけるには?

人ごみ 書評

生きていればそれなりに「やりたかったけど、できなかったこと」というのが、誰しもひとつやふたつ、いや、もっとたくさんあるものだと思います。

若い頃に夢見た仕事に就けなかった。挑戦しようと思ったけれど、家族のこと、生活のことを考えてあきらめた。あと一歩だったのに手を伸ばさなかった──。

そんな「過去」がふとした時に思い出されて、ため息が出ることがあります。

正直なところ、いちばん楽なのは「思い出さないこと」かもしれません。でも、記憶というのは勝手に浮かんでくるもので、無理に忘れようとしても、かえってよみがえってくるものですね。

そこで今回は、「やりたかったけどやれなかった」という後悔とどう折り合いをつけるかについて、自分の経験も交えながら考えてみたいと思います。

あの時の「自分なりの事情」を思い出す

まず、後悔というのは「当時の自分はダメだった」と責める気持ちが出発点です。でも、その時にはその時なりの事情がありました。

お金がなかった。誰かを支えなければならなかった。自信がなかった。情報がなかった。そんな背景を、今の目線で見直してみると、「あのときの自分なりにはよく頑張っていた」と思える部分があるはずです。

後悔は、今の自分だからこそ持てる視点であって、当時の自分には見えていなかった未来です。責めるよりも、「よくあの状況を乗り越えた」と少しでも認めてあげることが、折り合いの第一歩かもしれません。

「再演」できないかを考えてみる

できなかったことは、たしかにもう戻らないかもしれません。でも、それに似たこと、あるいは別の形で「今からできること」って意外とあるものです。

たとえば──

  • 若いころ歌手になりたかった → カラオケ大会や地域の音楽サークルに参加してみる
  • 起業したかった → 小さな通販やブログで発信を始めてみる
  • 外国に行きたかった → 外国人と交流できる場所に顔を出してみる

過去と同じ形でなくても、「似たような感情」を味わえる経験を今からすることで、不思議と心の奥の“わだかまり”が少しずつ溶けていくような気がします。

「次の誰か」に託すという方法もある

もし今さら自分にはできない、と思うのなら、それを誰かに「託す」というやり方もあります。

やりたかった仕事について、若い人と話すだけでも意味があります。夢だったことを語ることで、それをきっかけに誰かが挑戦してくれるかもしれません。

自分ができなかったことを、誰かがやってくれる。それを喜べるようになると、後悔は「物語」として完成していくように思います。

「言葉にする」「書く」こともひとつの癒し

後悔というのは、胸の中でグルグル巡っているうちは重たいものですが、言葉にしたとたん、少し軽くなることがあります。

誰かに話す、ノートに書く、ブログに綴る──それだけで気持ちの整理がついていく。不思議なものです。

「あの時、こうすればよかった」と書いてみると、「じゃあ今から何ができる?」という問いが浮かび上がってくるからです。

過去と“和解”するという考え方

完璧な人生なんてありません。むしろ、「できなかったこと」「失敗したこと」「手放したこと」があるからこそ、人生には深みが出るのだと思います。

後悔がまったくない人生よりも、後悔と向き合いながら、それでも今日を大事に生きようとする人生のほうが、私は素敵だと思います。

折り合いをつけるというのは、後悔を消すことではなくて、「それもまた自分の一部として受け入れる」ことなのだと思います。

やりたかったけどやれなかった──そういう気持ちは、消えることはありません。

でも、その思いを誰かに伝えること、似たことを少しだけでもやってみること、それだけで気持ちのなかに「静かな納得」が生まれることがあります。

時間が経ったからこそ見える景色もある。今だからこそできることもある。

「まだ終わっていない」「今からでもやれることがある」──そんなふうに思えたとき、後悔は人生の“静かな味わい”へと変わっていくのかもしれません。

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