家の中に人がいても、誰とも話さない日がある。
それが当たり前になってから、もう何年が過ぎただろう。
いま私は、妻と同じ家に住みながら、ほとんど会話を交わさず暮らしている。
かつては家族だったが、今はただの“同居人”という言葉のほうがしっくりくる。
本当はもうずっと前から、離婚したいと願っている。
一度きりの人生、自分らしく過ごす時間を、もう少しだけ取り戻したいと思っている。
現実が、それを許さない
離婚して、新しい人生を始めたい。
本音を言えば、「ラストパートナー」と呼べるような女性とも出会ってみたい。
最近は中高年向けのマッチングアプリもあり、妙齢の独身女性がパートナー探しをしている時代だ。
おそらく、需要はあるだろう。
でも、現実はそう甘くない。
経済的な問題が、一番の壁だ。
年金だけではとても生活できない。副収入はある。アルバイトとネットでの小売り。でも、大した金額にはならない。
もし離婚するなら、この家を出ることになる。財産分与もほとんどない。
「身一つで出ていく覚悟」はあるが、じゃあどこに住む?となると、答えが出ない。
ワンルームではあまりに寂しい。せめて2DKは欲しい。
でも、今の家賃相場とランニングコストを見れば、無理な話だとわかってしまう。
同居しながら離婚?そんな器用な真似はできない
「同居しながら離婚して、外でパートナーを探せばいいんじゃない?」
そんな意見もあるかもしれない。だが、それが簡単にできるなら、苦労はしない。
長年連れ添ったとはいえ、もうお互いに干渉も期待もない。
でも、まだ「夫婦」であるという事実が、自由を縛ってくる。
妻がそれを許すとも思えないし、気持ちの上でも、自分自身がまだ決断しきれていないのかもしれない。
言葉に飢えている
正直に言えば、今の私は会話に飢えている。
笑いながら話す時間がほしい。誰かの話に相づちを打ち、自分の気持ちを聞いてもらいたい。
一人でいるのが寂しいわけじゃない。
「話しかけても無視される存在」になることが、辛いのだ。
そんな気持ちを抱えながら、日々を過ごしている。
今はテレビも持っていない。部屋には音がなく、独り言も減ってきた。
ふと気づけば、一日なにも声を出していなかった、ということもある。
それでも、あきらめたくない
だから私は今、ブログを書いている。
せめて自分の言葉を残したくて。誰かに届いてほしくて。
このブログで、少しでも収入を得られれば、次の一歩が近づく。
小さな副収入でも、積み重ねれば「自由」の種になるかもしれない。
年齢的に、もう時間は多くないかもしれない。
でも、まだ終わってはいない。生きている限り、希望はあると信じたい。
いまの暮らしを抜け出したいと考えている人がいたら、きっとあなたも一人じゃない。
私もその一人です。
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