16世紀、日本の戦国時代に突如として登場したアフリカ出身の弥助(Yasuke)が燃えています。
彼は織田信長に仕えたことで知られていますが、その実像についてはほとんど知られていません。
弥助の記録は非常に限られていて、主にイエズス会の宣教師ルイス・フロイスの報告書や「信長公記」などに僅かに残されているだけです。
これらの記録では、弥助が信長の庇護を受け、従者や護衛としての役割を果たしていたことが記されています。
2017年、トーマス・ロックリー氏は『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』を出版しました。
この著書は弥助を「伝説の黒人侍」として描写し、彼が正式な侍の地位を持っていたかのように強調しています。
しかし、この描写は一部の歴史家や研究者から批判を受けました。
弥助が侍であったとする証拠はなく、彼の地位や役割については何の記録も無いからです。
2024年5月、Ubisoftは新作ゲーム『Assassin’s Creed Shadows』で弥助を主要キャラクターとして取り上げました。
この発表は「史実に基づくもの」だとして炎上しました。
批判者たちは、ゲームが歴史上存在した実在の黒人侍のストーリーとして宣伝されているため、弥助が正式な侍であったという主張は捏造であり、Ubisoftが現代の「ウォーク」文化に迎合しているのではないかと主張しました。
「ウォーク」文化とは、社会的な不正義や差別に対して意識を持ち、積極的に対処する姿勢を指します。
もともとはアフリカ系アメリカ人コミュニティで使用され始め、特に人種差別に対する意識を高めるための用語でした。
しかし、近年ではより広範な社会正義の問題、例えばジェンダー平等、LGBTQ+の権利、環境問題などにも関連付けられるようになりました。
この文化は、社会的不正義や差別を避け、公平で尊重される表現を使用することを目指していますが、一部では過度な表現の制限として批判されることもあります。
UbisoftのCEOであるイヴ・ギルモット氏は、創作の自由を支持すると表明し、開発者に対するハラスメントを強く非難しました。
この炎上が広がる中、弥助に関する議論は再燃しました。
特にトーマス・ロックリー氏の著作が問題視され、彼が弥助を「伝説の侍」として描いたことが、Ubisoftのゲームの基礎となっているのではないかとの批判が出ました。
ロックリー氏が鳥取トムという名でWikipediaに弥助に関する情報を編集したとされ、これも議論を呼びました。
彼の記述は弥助を英雄的な侍として描いており、これが歴史的事実とは全く異なるものとの批判が出ています。
弥助の物語は、多くの人々にとって魅力的であり、異文化交流の象徴としても語られます。
しかし、その評価をめぐる論争は、歴史的事実として語られてはならないのです。
弥助の物語は、歴史的な証拠が限られている中で、どのように描くべきかが問われています。
歴史的事実とフィクションの違いを明確に公表することが、弥助のフィクションとしての物語を世に送り出す最低条件になるでしょう。
つまり、フィクションとしての物語なら何ら問題となることではなかったのではないかという話です。
トーマス・ロックリー氏は、イギリス出身の学者で、日本の歴史やアジアの文化に関する研究者です。彼は2000年にJETプログラムの一環として日本に渡り、鳥取県で英語教師として勤務。その後、日本大学法学部で専任講師となり、2019年に准教授に昇進しました。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)でも客員研究員を務め、弥助に関する研究で知られています。彼の著書『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』は、弥助を「伝説の黒人侍」として描き、国際的に注目を集めました。
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