
かつて「政策通」と呼ばれ、政権中枢から距離を置いていた石破茂氏が、まさかの総理大臣に就任。多くの国民は、そのニュースに一瞬耳を疑ったのではないだろうか。
そして、今。首相となった彼は、いったい何をしているのか?
国民の苦しみが深まる中、彼が国民に訴えたのは「消費減税は金持ちを利するだけだから反対」「給付金のほうが公平」という、まるで財務省の代弁者のような発言だった。
この国難の時代にあって、私たちが求めているのは、国民の生活を直接的に救う手段であり、納得と共感を生むメッセージだ。石破首相は、そのどちらも出せていない。
“何もしない政治”の象徴
思い出してほしい。石破氏はこれまで、テレビに出ては政局を語り、政策に持論を述べてきたが、そのすべてが「評論家的」だった。 批判はするが提案は曖昧、現場には出ない、実行には踏み込まない。
それがいま、国家のかじ取り役となっている──という事実は、国民にとっての悲劇であり、日本の政治構造の欠陥の象徴である。
なぜ石破茂が担がれたのか
一部の論者は、石破首相を「調整型」「聞く力」「穏健な知性」と称賛する。しかし実態は、「波風を立てない」ことで支持される“無害な存在”であり、言い換えれば「操り人形として最適」だったということだ。
財務省にとって都合の良い人物。 メディアにとって扱いやすい存在。 政界にとって都合の悪い真実に触れない男。
その結果が「石破茂」という空虚なリーダー像である。
減税否定は誰のためか
石破首相は「消費減税は金持ちを利する」と語る。しかし、消費税というのは“誰でも同じ税率”がかかる、極めて逆進的な税であり、低所得層ほど重い負担になる。
それを理解していながら、あえて「給付金」を主張するというのは、国民を「分配される対象」として見ている証左である。 自ら働いて納めた税を取り戻すのではなく、「もらってありがたがれ」という発想なのだ。
このような発想に立つ政治家を、私たちはリーダーとして本当に信じていいのだろうか。
メディアはなぜ彼を持ち上げるのか
オールドメディアは、参政党など新興勢力の台頭は無視する一方で、石破首相のような“波風の立たない顔”を前面に押し出してくる。
理由は明白だ。批判されにくく、調整型で、論争を避ける人物は、スポンサーや官庁とぶつからないからだ。 しかし、それは「メディアにとって都合がいい首相」であり、「国民にとって良い首相」では決してない。
国民はいつまで騙され続けるのか
石破茂が“無能”なのではない。 “無害”であることが、最大の脅威なのだ。
この国の真の問題は、力ある者が悪さをすることではなく、「何もせずに地位だけ守る者」が上に立つ構造である。 石破首相は、まさにその象徴となっている。
この国に必要なもの
今、日本には“波風を立てる”政治家が必要だ。 耳障りでも、痛みを伴ってでも、「真実」を語り、「行動」で示す者を私たちは選ばなければならない。
石破首相の言葉は、心に届かない。 その沈黙の裏にあるのは、国家を動かす意志ではなく、ただ「首相であること」への執着だ。
国民は、もう目を覚ますべき時だ。
この国を変えるのは、“有害な悪”ではなく、“無害な無能”を拒絶する力である。
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