無害であることが首相の条件なのか──令和日本の不幸な選択

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【速報】石破首相 消費減税は金持ちほど恩恵と批判 給付金の意義訴え「政治家は選挙のためにウケる話をすればいいのではない」(FNNプライムオンライン(フジテレビ系))のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
石破首相は28日、静岡県沼津市で開かれた自民党議員の集会であいさつし、参院選に向けて野党が掲げている消費税の減税について、高所得者ほど減税の恩恵を受けることを指摘し、批判した。 石破首相は、消費税
石破茂は「操り人形首相」なのか──静かすぎるリーダーの正体

かつて「政策通」と呼ばれ、政権中枢から距離を置いていた石破茂氏が、まさかの総理大臣に就任。多くの国民は、そのニュースに一瞬耳を疑ったのではないだろうか。

そして、今。首相となった彼は、いったい何をしているのか?

国民の苦しみが深まる中、彼が国民に訴えたのは「消費減税は金持ちを利するだけだから反対」「給付金のほうが公平」という、まるで財務省の代弁者のような発言だった。

この国難の時代にあって、私たちが求めているのは、国民の生活を直接的に救う手段であり、納得と共感を生むメッセージだ。石破首相は、そのどちらも出せていない。

“何もしない政治”の象徴

思い出してほしい。石破氏はこれまで、テレビに出ては政局を語り、政策に持論を述べてきたが、そのすべてが「評論家的」だった。 批判はするが提案は曖昧、現場には出ない、実行には踏み込まない。

それがいま、国家のかじ取り役となっている──という事実は、国民にとっての悲劇であり、日本の政治構造の欠陥の象徴である。

なぜ石破茂が担がれたのか

一部の論者は、石破首相を「調整型」「聞く力」「穏健な知性」と称賛する。しかし実態は、「波風を立てない」ことで支持される“無害な存在”であり、言い換えれば「操り人形として最適」だったということだ。

財務省にとって都合の良い人物。 メディアにとって扱いやすい存在。 政界にとって都合の悪い真実に触れない男。

その結果が「石破茂」という空虚なリーダー像である。

減税否定は誰のためか

石破首相は「消費減税は金持ちを利する」と語る。しかし、消費税というのは“誰でも同じ税率”がかかる、極めて逆進的な税であり、低所得層ほど重い負担になる。

それを理解していながら、あえて「給付金」を主張するというのは、国民を「分配される対象」として見ている証左である。 自ら働いて納めた税を取り戻すのではなく、「もらってありがたがれ」という発想なのだ。

このような発想に立つ政治家を、私たちはリーダーとして本当に信じていいのだろうか。

メディアはなぜ彼を持ち上げるのか

オールドメディアは、参政党など新興勢力の台頭は無視する一方で、石破首相のような“波風の立たない顔”を前面に押し出してくる。

理由は明白だ。批判されにくく、調整型で、論争を避ける人物は、スポンサーや官庁とぶつからないからだ。 しかし、それは「メディアにとって都合がいい首相」であり、「国民にとって良い首相」では決してない。

国民はいつまで騙され続けるのか

石破茂が“無能”なのではない。 “無害”であることが、最大の脅威なのだ。

この国の真の問題は、力ある者が悪さをすることではなく、「何もせずに地位だけ守る者」が上に立つ構造である。 石破首相は、まさにその象徴となっている。

この国に必要なもの

今、日本には“波風を立てる”政治家が必要だ。 耳障りでも、痛みを伴ってでも、「真実」を語り、「行動」で示す者を私たちは選ばなければならない。

石破首相の言葉は、心に届かない。 その沈黙の裏にあるのは、国家を動かす意志ではなく、ただ「首相であること」への執着だ。

国民は、もう目を覚ますべき時だ。

この国を変えるのは、“有害な悪”ではなく、“無害な無能”を拒絶する力である。

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