真夏の暑さは、もはや天災の域に達しています。連日35度を超える猛暑日、夜も気温が下がらない熱帯夜。熱中症という言葉が飛び交う中、静かに、しかし確実に増えているのが「夏の孤立死」です。
高齢者が自宅で一人、エアコンも使わず、誰にも気づかれないまま亡くなっていく。そんな報道を目にすることが、近年とても多くなりました。原因は熱中症ではなく、実質的には「貧困」と「孤立」です。
エアコンを「使わない」ではなく、「使えない」──これが現実なのです。
多くの高齢者が「電気代が心配でエアコンがつけられない」と言います。年金収入だけでは夏の光熱費をまかなうのがやっと。中には電気代を払えず、電力会社から一時的に送電を止められた人もいます。
特に、独居高齢者や生活保護を受けていない“制度の狭間”にいる人々にとって、エアコンの電気代は“ぜいたく品”に等しいのです。
クーラーをつけると数千円も電気代が増える。請求書を見るたびに不安になり、できるだけ扇風機や窓開けで耐える。しかし気温は年々上がり、「耐える」という行為自体が命を縮める結果となっています。
本当に問題なのは、“暑さ”ではなく“貧しさ”です。
エアコンをつけることを「もったいない」「我慢」と言ってしまえば、それは一種の美談になってしまいます。でも実際には、エアコンを我慢しているのではなく、「生活が崩れるのが怖くて使えない」のです。
エアコンは命を守る家電です。それなのに、その“命綱”にすら手が届かない。それが日本の高齢者の一部が置かれている現実です。
そしてこの問題をさらに深刻にしているのが、“孤立”です。家族とも連絡を取らず、近所付き合いもほとんどない。誰にも「暑い」「しんどい」と言えず、一人で耐え続ける。見守る人がいなければ、本人の異変にも誰も気づきません。
こうして、夏のある日、エアコンのない部屋で、高齢者が静かに命を落とす──それは「熱中症死」ではなく、もはや“貧困による孤立死”なのです。
行政は「見守り活動」「エアコン設置支援」などの施策を掲げていますが、そもそも支援制度の存在を知らない人も多く、申請方法が難しいことも壁となっています。中には「人の世話になるのは申し訳ない」「子どもに迷惑をかけたくない」と申請を拒む人もいます。
私たちにできることは何でしょうか。
「暑い日はクーラーをつけてね」と言うだけでは足りません。「電気代は気にしないで」「困ったら頼って」と言葉を添える必要があります。
家族、友人、地域──誰かがそっと気づくことが、孤立死を防ぐ第一歩です。エアコンを使うことを“ぜいたく”と思わせない社会。暑さに命を奪われるのではなく、守られる社会。そうした空気づくりが、今求められています。
この夏、身近な高齢者に「涼しくしてる?」と声をかけてみてください。その一言が、静かな終末を防ぐかもしれません。
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