歳をとると、だんだん「誰かと話す」という行為が減っていきます。
一人暮らしはもちろん、家族と同居していても、会話がほとんどないという人は少なくありません。
たとえ元気でも、ふとしたときに気づくのです──「今日、まだ一言も声を出していない」と。
声を出さない生活は、老いを早める
人間は話さないと、驚くほど早く“言葉”を忘れていきます。
「あれ、名前が出てこない」「話の途中で何を言おうとしていたか忘れる」
そんな現象は、年齢のせいだけではなく、“会話量”の低下によって引き起こされるのです。
言葉は筋肉です。使わなければ、衰えます。
さらに言えば、会話とは「人と心をつなぐ運動」であり、黙っている時間が長いほど心も閉じていきます。
テレビが埋められない“会話の穴”
「話し相手がいないから、テレビでもつけておく」。そんな高齢者は多いです。
しかし私は、この“受け身の時間”に強い懸念を抱いています。
テレビは情報を流してくれますが、こちらから働きかける余地はありません。
感情を動かされることもありますが、それはあくまで「見せられる側」。
発想力、語彙力、記憶力など、脳の能動的な機能はほとんど使われません。
また、オールドメディアは意見の一方通行です。
高齢者をターゲットにしたセンセーショナルな健康情報や、偏った政治報道なども多く、知らず知らずのうちに世界観がゆがめられていく危険があります。
本当に必要なのは「聞くこと」ではなく、「話すこと」なのです。
誰とも話さない日々がもたらす“沈黙の病”
人と話すことがないと、どうなるか。
● 発声が弱くなり、言葉が詰まる
● 顔の筋肉が動かず、表情が乏しくなる
● 考えるスピードが落ちて、返事に時間がかかる
こうした変化は、やがて「人と会うのが億劫」という気持ちを生み、さらに外出や会話を避けるようになります。
つまり、“話し相手がいない”というのは、単なる寂しさではなく、健康にも関わる深刻な問題なのです。
では、どうすればいいのか?
相手がいなくても、まずは「声を出すこと」。
誰かに聞かせるためでなく、自分のために口を動かす。それだけで、驚くほど心と脳が動き出します。
たとえば──
- 新聞や雑誌の見出しを声に出して読む
- 日記を音読する
- 天気や食べ物について独り言を言う
- 冷蔵庫を開けて「さて、何を作ろうかな」と言う
- 花に向かって「きれいだね」と声をかける
これらは、どれも1人でできて、誰にも迷惑をかけません。
ポイントは「無言で過ごさないこと」。たったそれだけで、日々が少しずつ明るくなります。
「声を出す日」が“良い日”になる
私自身、ある日ふと「あれ、最近、笑ってないな」と思ったことがあります。
テレビを見て笑うのではなく、自分の声で笑うこと。これが本当に大切なのです。
笑いは脳を活性化させ、免疫力を上げ、心の緊張をゆるめます。
たとえひとりでも、笑う練習をするだけで、声が出やすくなり、会話もスムーズになります。
「話す」というのは、訓練です。そして、「声を出す」というのは、生きる力そのものです。
誰かに会わなくても、誰かと電話しなくても、自分の声を忘れない努力。
それが、今日という日を前向きに過ごす小さな処方箋になります。
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