高齢者にとって「今の家」が大切な理由──リロケーション・ダメージを防ぐ暮らしの知恵

我が家 こころと生き方

引っ越しただけで、気力がなくなった。そんな話を高齢者の方から聞くことがあります。それは決して大げさでも、甘えでもありません。私たちにとって「家」は、単なる建物ではなく、人生そのものが染み込んだ場所だからです。

「リロケーション・ダメージ」という言葉があります。高齢者が引っ越しや施設への移転などで、心や体に変調をきたす現象のことです。転居をきっかけに、うつ状態になる、認知症が進行する、食欲がなくなる──そんな事例は、決して珍しくありません。

その原因のひとつが、長年暮らしてきた家から引き離されること。今の家には、気づかないうちに“自分らしさ”が宿っているのです。安心して過ごせる空間があることは、健康な老後を支えるうえで欠かせない条件のひとつといえます。

朝、障子越しに差し込む光。聞き慣れた時計の音。使い慣れた台所。畳の縁にある古い傷。どれもが、その人の暮らしと人生を支えてきました。

人の心は、環境に左右されます。とくに高齢者にとって、「慣れた環境」は安心感と自信を与えてくれる存在です。反対に、急に新しい環境に置かれると、何がどこにあるのかもわからず、不安と疲労だけが残ってしまうこともあります。馴染みのない土地で再び人間関係を築き直すのは、若いころよりもずっと難しいことです。

もちろん、家族の都合や老朽化などで、今の家に住み続けるのが難しくなることもあるでしょう。それでも、「今の家にできるだけ長く住みたい」と思う気持ちは自然なことです。そこには、思い出も、人間関係も、自分らしさも詰まっているのですから。

片づけられない物、古びた家具、手入れの行き届かない庭。若い人には“無駄”に見えても、高齢者にとっては“思い出の形”であり、“心の支え”です。それを一方的に片づけることは、「その人らしさ」を奪う行為にもなりかねません。

長年暮らした家には、日々の繰り返しの中で積み重ねられてきた記憶があります。季節ごとの行事、家族の成長、病気や回復の時間……そのすべてが、家の中に刻まれています。だからこそ、その家に帰ってくると、ホッとしたり、気持ちが前向きになったりするのです。

高齢者にとって、家とは単なる住居ではなく、「自分の人生の歴史が詰まった場所」。他人にとってはなんでもないキズや古い道具も、その人にとっては人生の証なのです。小さなキッチンや古い座布団にも、“その人らしさ”が残っています。

引っ越しが避けられない場合でも、慣れ親しんだ家具や写真、カレンダー、座布団の位置などを新居に持ち込むことで、心が落ち着く場合があります。「物」には、記憶を呼び起こし、自分を取り戻す力があるのです。

また、今の家を住み続けられるようにする工夫もあります。段差をなくしたり、手すりをつけたり、見守りサービスを利用したりすれば、無理なく安心して暮らし続けることができます。これらの工事やサービスは自治体の助成を受けられる場合もあり、早めに情報を集めておくことが大切です。

さらに、自治体によっては「住み慣れた地域で最期まで暮らすことを支援する制度」や、バリアフリー改修の助成制度もあります。知らなかった制度が、あなたの「この家で暮らし続けたい」という願いを後押ししてくれるかもしれません。

住まいとは、単に雨風をしのぐための場所ではありません。それは「人生の背景」であり、「自分を表す舞台」です。そこに長く住み、手を加えながら築き上げてきたものが、自分の暮らしの“かたち”となって現れています。

今、あなたが暮らしている家には、あなたの時間が染み込んでいます。その場所で過ごしてきた日々が、あなたの心と体を支えてきたのです。

「この家にいると、ほっとする」と思えるなら、それは何より大切な感覚です。その安心感を、どうかこれからも大切にしてください。誰に何を言われても、「ここが私の場所」と思えることが、きっとこれからの生き方を支えてくれます。

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