68歳になった今でも、男は男である。どれだけ年を重ねても、職場で女性に嫌われたくないと思うし、できれば少しでも好かれたいとも思う。恋愛感情ではない。ただ、人として気持ちよく接してもらえる関係でいたい。それは自然な願いだと思う。
私の働くバイト先には、若い女性はほとんどいない。多くは50代、なかには60代の女性もいる。その中で、私は「わりと好かれている」と感じる場面がある。仕事の相談をされる、ちょっとした世間話をされる、困ったときに頼られる。そうしたことの積み重ねで、私は“嫌われてはいない”という確信を得ている。
まわりを見ていると、同年代の男性で女性とうまくいっていない人も少なくない。悪気はないのだが、どこかで距離感を間違えているように見える。馴れ馴れしくなりすぎたり、逆に壁を作りすぎたりして、結果として女性に警戒されてしまう。
馴れ馴れしさと親しさは違う
長年働いてきた男性ほど、「年下の女性に気さくに話しかけるのは当然」と思っている節がある。だが、職場という場では“気さく”と“馴れ馴れしさ”の線引きはとても微妙だ。名前を呼び捨てにする、勝手にプライベートに踏み込む、そんな行動が距離を縮めるどころか壁を作ってしまうことがある。
一方で、無関心すぎる態度も逆効果だ。目を合わせない、挨拶をしない、何を考えているかわからない──これもまた、相手に不安感を与えてしまう。
大切なのは、「この人は自分のことを尊重してくれている」と相手に思ってもらうこと。その前提があるからこそ、会話も、ちょっとした頼みごとも、自然に受け入れてもらえる。
私が心がけていること
- 挨拶は自然に、自分から。先に声をかけるだけで関係はずっと円滑になる。
- 仕事はきちんとやる。それだけで信頼は得られるし、余計な言動も減る。
- 「気づくこと」に集中する。落ちているものを拾う、困っていそうなら一声かける。それだけで十分。
- 相手の変化に気づいても、必要以上に触れない。髪型や服装を褒めるのは一歩間違えば不快にさせる。観察はしても、言葉には慎重さがいる。
必要以上に踏み込まない。でも無関心ではいない。ちょうどよい距離感は、言葉ではなく態度の積み重ねでつくられていく。
昔とは違う、今の距離感
私たちが若かった頃は、多少ぶしつけでも“気さくなおじさん”として許される風潮があった。しかし今は違う。立場や価値観の変化により、年配の男性が無意識に振る舞ったことで、相手に不快感を与えることもある。
だからこそ今は、「自分がどう見られているか」に少しだけ敏感になることが必要だ。それは卑屈になることではなく、自分の存在が相手にとって快いかどうかを考えるという意味である。
女性にとって、安心して接することができる男性とは、「無理に何かしようとしない人」だと思う。押しつけない、詮索しない、でも気配りはある。年を取るほど、そういう“自然体の人”が好まれるようになる。
結局のところ、「好かれたい」と強く思うほど空回りする。そうではなく、「自分の振る舞いが場の空気を良くするか」に意識を向けることで、結果として人間関係は穏やかになっていく。
これからの立ち位置
68歳の“爺さん”であっても、職場で女性と穏やかな関係を築くことはできる。ただそれは、言葉ではなく、日々のちょっとした態度と距離感の積み重ねによるものだ。
モテる必要はない。ただ、「いてくれて安心」と思われる存在になれれば、それはもう十分すぎるほど幸せなことだと思っている。
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