なぜ日本人は、原爆でホロコーストされなければならなかったのか – YouTube

原爆ドームと元安川 歴史

※こちらは水原紫織氏のyoutube内容を書き出したものです。

こんにちは水原紫織です。この動画では今まで日本人に全く知らされていない、とても重大なお話をしようと思います。日本人がなぜ焼夷弾で焼き殺され、原爆で焼き殺されなければならなかったのかという理由です。

もちろんそんなことに正当な理由など あっていいはずがありません。ですが日本人に対する復讐という民族的な大義を意識していた人々がいたことは知っておく必要があると思うのです。

なぜ日本人は原爆でホロコーストされなければならなかったのか、そのごく限られた人々の理由を7つのパートに分けて順を負って説明していきます。

第1章 日本の核実験とイギリスの原爆開発計画

日本人に対して原爆を使うことを公式に決定した人物がいました。その人物とはシオニズムを政府が公式に支援するイギリスのその首相チャーチルです。そしてもう1人はアメリカのルーズベルト大統領でした。この2人が日本人に対して原爆を使うというジェノサイドを決定した人物です。

まずは、日本人が知らされてこなかった戦前からの日本の国際的な位置付けや日本の核実験の論文を簡単に説明しておきましょう。

日本は1884年6月26日に正式に英国領であることが英国の官報で報じられます。そして戦後もまだ日本がイギリス領であったことが分かるアメリカの公文書が、アメリカ国務省歴史家のウェブサイトで公開されています。

その公文書は戦後連合国の対日理事会の議長が、1947年3月14 日付けでアメリカの国務長官に当てた電報です。そこにはイギリスの植民地だった地域が独立後に加盟することができるイギリス連邦に、日本も加盟することを期待しているということが記されています。

また、当時の昭和天皇が1930年6月26日に名誉職のイギリス陸軍大将から正規軍の陸軍元帥に昇格したことがイギリスの官報に報じられています。

このように日本は戦時中も戦後も日本人に隠されたイギリス領であり、天皇は戦時中もイギリスの正規軍の陸軍元帥だったことがわかります。

実は、その秘密の統治機構の元で日本は世界初の核爆発に成功しています。

東京帝国大学と理科学研究所の仁科芳雄博士が、核爆発で生成されることが知られているネプツニウム237を生成したという論文が、アメリカの物理学ジャーナルフィジカルリビューに掲載されたのです。

そのジャーナルが出たのは1940年6月15日。日本が真珠湾攻撃で第二次世界大戦に参戦する前の年でした。

その論文について付け加えておくと、日本は世界で初めて核爆発に成功したのに、その論文はそれを秘密にしたまま核爆発の証拠となる死の灰ネプツニウム237を生成したことを発表しただけだったんです。

アメリカでマンハッタン計画がスタートする2年も前のことでした。そしてその論文が発表された翌年 1941年イギリスの方がアメリカよりも1年先にチューブアロイズという原爆開発計画をスタートします。

ただそのチューブアロイズというイギリスの原爆開発計画の中でも、日本人に対して原爆を使うという計画は後から盛り込まれたことが分かっています。

それは、終戦の前の年の1944年9月18日のことでした。その日に初めて日本人に対して原爆を使うというイギリスの原爆開発計画チューブアロイズに、アメリカのルーズベルト大統領が合意したのです。

それまでには、アメリカもイギリスに1年遅れでマンハッタン計画を立ち上げ研究を進めていました。でもどうしてもうまくいかなかった。

それは原爆を早期爆発させてしまう宇宙線の高速中性子を、高速から低速に減速してくれる素材が水やコンクリートの他に見つからなかったからです。

つまりB29などの爆撃器には、原子力発電所の使用済み燃料プールのような深い水槽やコンクリートを搭載できない。だからアメリカは爆撃による原爆化は不可能だという結論に至ったわけです。

そうして日本人に対して原爆を使うというイギリスのチューブロイズにルーズベルト大統領が合意した約11ヶ月後、原爆はその通り日本人に対して使用されました。

それが1945年8月の6日と9日広島と長崎の原爆です。

では、軍事施設でもない兵士でもない日本人を、子供から大人まで原爆で殺していいとチャーチル首相にそう思わせた理由は一体何だったの でしょう。

降伏するまで日本軍に対して新兵器を使うというのなら、戦争だからということであり得ることでしょう。また日本に対して新兵器を使うというのであれば、その対象は大日本帝国の統治者であり国家元首であり陸海軍の統帥者である天皇ということになるでしょう。

でも思い出してください。昭和天皇はイギリスの正規軍の陸軍元帥です。原爆を使う対象は天皇でも皇居でもなく、日本政府でも日本軍でも日本兵でもない日本人なのです。これは明らかなジェノサイドではない でしょうか。

第2章 ホロコーストの本来の意味

でも、なぜ日本人が原爆で殺されなけれ ばならなかったのか、その理由はチャーチル首相が追っていた任務の中に潜んでいました。

チャーチル首相は冒頭でも触れた通りシオニズム支援を公式な任務として追っていました。首相のシオニズム支援という任務はイギリス政府が1917年公式にシオニストの望みに共感する宣言をしたことに端を発します。

シオニストの望みというのはイギリス委任統治領パレスチナからイスラエルが独立することでした。イスラエル独立という彼らの望みは、戦後になるとイギリス以外からも多くの指示を集めて1948年に達成しています。

このイスラエル独立を大きく後押しすることになったのが、戦時中にナチスがユダヤ人に行ったとされるホロコーストです。

ただし、ホロコーストの本来の意味はナチスが行ったこととは違っていました。ホロコーストの本来の意味はユダヤ教で神に備える獣の丸焼きという意味でした。

ただそれを英語でホロコーストというのなら、英語の旧約聖書にホロコーストと書かれているはずです。見てみましょう。

フランスで発行された英語聖書を除いたらほとんどの英語聖書にはホロコーストという言葉は使われていませんbumt-offeringとかbumt-sacrificeというフレーズが使われています。

一方ホロコーストという言葉が使われているのはフランス語イタリア語スペイン 語ポルトガル語ラテン語の旧約聖書でした。

日本語の旧約聖書にもホロコーストと いう言葉はありません。その代わりに焼きつく生贄といったフレーズが使われています。そのため私たち日本人はホロコーストの本来の意味が、犠牲を焼きつくして神に捧げることだということを知らない人がほとんどのようです。

だから例えば、オクスフォードラーナーズ辞典でホロコーストを引くと、1 番目に用例として-a nuclear holocaust-核によるホロコーストが出てくるのです。

つまり原爆はホロコーストと呼ぶべき、歴史的な人間丸焼きの大量殺人だったことがわかります。

第3章 西暦70年エルサレム神殿で人間のホロコースト

さて、ホロコーストの本来の意味が分かったところで、チャーチル首相の日本人に対して原爆を使うべきと考えた理由は何だったのか。それを知るための準備ができました。

実は、ホロコーストはシオニストが嘆の壁で嘆いている理由とも深い関係があります。

今ではエルサレム市街を取り囲んでいた城壁の一部しか残っていない嘆の壁。その城壁の中に立っていたはずのエルサレム神殿は跡形もありません。

その立っていたはずのエルサレム神殿では、西暦70年に人間1万人が生きたまま丸焼きにされるというホロコーストがありました。そしてさらにエルサレム神殿も破壊されてしまったのです。

ところがその大惨事を喜ぶような風習が日本に残っていたとしたらどうでしょう。そんなことあるはずがない、でもそうだったとしたらそれ自体恐ろしいことですが、それが知れた時のリアクションが原爆だったとしたらどうでしょう。

実は日本にはそんな風習があるのです。順を追って説明します。

まず西暦66年にローマ帝国の属州ユダヤでユダヤ戦争が勃発します。そしてその4年後の西暦70年にはユダヤが終盤戦を迎えていました。

ローマ軍はエルサレム神殿を焼き打ちして、神殿に立てこもるユダヤ教徒やユダヤ教祭司たち合計1万人にものぼる人々を、神に捧げる生贄のようにホロコーストして焼き殺したのです。

それは西暦70年の8月、ユダヤ歴の日付で8日9日10日のことでした。そのことがユダヤ戦記に来されています。

ただし、エルサレム神殿を焼き打ちしたローマ軍の参謀には、ユダヤ教司祭のヨセフ・ベン・マタティアがいました。さらに焼き打ちし側にはユダヤの一部を統治していた王アグリッパⅡ世もいたのです。

そしてそのアグリッパⅡ世の軍には、ユダヤ教徒が2000人もいました。つまりエルサレム神殿でユダヤ教徒やユダヤ教の祭司たちをホロコーストして、神殿を破壊した側にもユダヤ教徒やユダヤ教の祭司たちがいたのです。

しかし、なぜエルサレム神殿を焼き打ちした側にユダヤ 教徒やユダヤ教の祭祀たちがいたのか。ここが今の私たち日本人が知らされいない最も重要なポイントです。

第4章 西暦70年のホロコーストは 77年目の復讐

さて、どうしてエルサレム神殿を焼き打ちして同胞をホロコーストとし神殿まで破壊したローマ軍の側に、ユダヤ教とやユダヤ教の祭司たちがいたのでしょうか。その答えは紀元前の因縁の連続殺人事件に遡ります。

紀元前にエルサレム神殿を増改築して立て直したのはヘロデ大王でした。そのヘロデ大王はイドマヤ人で改宗したユダヤ教徒でした。

しかもヘロデ大王はユダヤ教の祭祀が統治するハスモン朝の王族を次々に殺して、自らユダヤ王にのし上がった人物です。

ただし、ユダヤ教の祭祀を務める部族というのは、イスラエル12部族には属しません。イスラエルの神を継承する生ける神だからです。ヘロデ大王に殺されたハスモン朝の祭王も、イスラエルの生ける神だったのです。

つまり、ヘロデ大王はイスラエルの神殺しをしてユダヤ王になった人物ということになります。

その神殺しをされた側のハスモン朝王族の子孫がヨセフ・ベン・マタティア、西暦70年にローマ軍の参謀を務めていた人物です。彼も またユダヤ教の祭司ですからイスラエルの神を継承する生ける神でもあったわけです。

だからベン・マタティアにとってヘロデ大王 の立てたエルサレム神殿はイスラエルの 生ける神が臨在しない偽物の祭祀と不信仰 なものが集う場所に過ぎなかったの でしょう。実際ヨセフ・ベン・マタティアは エルサレム神殿は以前から神が火災を運命づけていたと書き残しています。

さらに具体的な話をすると、ヘロデ大王によってハスモン朝の王族の最後の死刑が執行されたのは紀元前7年でした。その処刑された人物がローマ軍と同盟したユダヤの一部の王であったアグリッパⅡ世のそのおじいさんアリストブロスです。

アリストブロスがヘロデダ王に処刑された紀元前7年から数えて77年目が西暦70年なのです。

77年目、77という数字はユダヤ教徒にとって意味のある数字です。ユダヤ教典では復讐やホロコーストして神に捧げる子羊の数として使われているのが77という数字です。

このことから西暦70年にエルサレム神殿で起きたホロコーストや神殿破壊は、ハスモン朝の末裔による77年目の復讐だったことがわかります。

第5章 77年目を喜び祝う日本人の風習

さて、日本の風習のどこに西暦70年のエルサレム神殿の大惨次を喜ぶ風習が残っているのか振り返ってみましょう。

日本には戦時中まで関数時の77を三角形に配置して喜ぶと読む字がありました。この字は喜ぶという字の草書体だと言われていますがどうでしょう。

喜ぶという字の総称体には下に一望が入っています。77と書くというコンセプトもありません。77と書くこの字は中国の漢字にもありません。14世紀頃から日本だけで使われてきた国字でした。

また日本には生まれて77年目を喜寿と呼んで祝う風習もあります。しかもその77 年目の喜寿の祝いには火を起こす時や火を強める時に使う皮吹きだけを作る風習が残っている地域もあります。

いかがでしょう、先日中までで使用された77と書いて喜ぶと読む漢字や、77年目の喜寿がエルサレム神殿で77年目の復讐を果たしたハスモン朝の末裔たちの思いと重なるのは考えすぎでしょうか。

しかし、こうした日本の酷似や風習をエルサレム神殿でホロコーストされた側に寄り添うシオニストたちが知ったらどうでしょう。ハスモン朝の77年目の復讐を喜び祝っているかのような連想させてしまうのではないでしょうか。

そう連想させてしまったかのような不可解な日付の一致があります。西暦70年のエルサレム神殿でのホロコースト、1945年の原爆ホロコースト、この2つのホロコーストの日付が一致するのです

第6章 西暦70年のホロコーストの復讐が原爆ホロコースト

エルサレム神殿でのホロコーストは西暦の8月、ユダヤ教の日付はアウグの月の8日9 日10日でした。そのためアウグの月の9日は、現在ユダヤ教の歴史の中で最も悲しい日と呼ばれるユダヤ教の祭日になっています。

一方、長崎で原爆ホロコーストが行われたのも8月9日。この日付が不気味なくらいに重なることがお分かりいただけるでしょう。確かに日本列島にはエルサレム神殿を破壊した側に寄り添う人々の宗教 、思想が広まった歴史もあります。

例えばハスモン朝の子孫は、ヘロデ大王のエルサレム神殿を中心に信仰されていたユダヤ教を正しくないと考えていました。だからエルサレム神殿を破壊して復讐を果たした後は当時のユダヤ教を食いあめさせ、エルサレム神殿はそもそも破壊すべきものだったという宗教思想を広めたことでしょう。

初期のキリスト教を母体とする景教もその流れを組んでいたようです。景教は635年にペルシャ人の僧が唐に来朝して不況が始まり、また736年には日本にも来朝しています。

このように、エルサレム神殿を破壊した側の人々の理屈に系統する新しい宗教思想が景教として唐経由で日本にも伝わってきたわけです。

そこで問題なのが、なぜ中国人に対してではなく日本人にだけ原爆を使うことが決定されたのかということです。

喜ぶという酷似や77年目の祝いという風習のせいだけなのでしょうか。だとしたら濡れぎぬということもあるのではないでしょうか。

しかし、長崎の原爆の日付はエルサレム神殿でのホロコーストの復讐だったことを示しているようです。このことはホロコーストの本来の意味を知らなければわからないことです。生贄を丸焼きにするユダヤ教の儀式だということです。

つまり、長崎の原爆ホロコーストの日付は、復讐された側の日本人には検討もつかないシオニストにだけ伝わる暗号だったのかもしれません。

第7章 日本人の記憶を消し去りたかったユダヤ教祭祀

長崎の原爆ホロコーストの日付が、シオニストにだけ伝わる復讐の暗号だったとしても、第2次世界大戦で日本を焼夷弾や原爆で焼き払った理由は、シオニストも知らないユダヤ教祭祀のある思惑であったと考えられます。

なぜなら日本列島にはエルサレム神殿を崩壊した側と崩壊された側の両派閥が移民してきた歴史があるからです。

しかも両派閥が渡来してきたその目的は日本人の先祖にまつわる記憶を消し去るためでした。その理由は縄文の成人の歴史がユダヤ教の神話を完全に崩壊させてしまう力を持っていたからです。

この本ユダヤ教と縄文の成人隠されてきたタブー史はユダヤ教の祭祀たちによって消し去られてきた縄文の聖人の異業にまで遡りました。どうぞご先祖様の異業に魂が震える感覚 をご堪能ください。

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