68歳、いま人間関係を見直す──「付き合わない自由」がくれた心の余裕

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私は68歳。今も週に何日かアルバイトに出ていて、体を動かす仕事をしています。人づきあいが苦手というわけでもなく、職場でもそれなりに親しく話す相手もいますし、友人もいます。

自分で言うのも変ですが、高齢者としては人づきあいに困っている方ではないと思います。でも、ある時期にふとこう考えたことがありました──「このまま、すべての人間関係を抱えたまま、残りの人生を進むのか?」と。

関係が“悪くない”だけに見直しにくい

よく「しんどい人とは距離を置こう」「嫌な人とは付き合わなくていい」と言われます。でも私の場合、特に誰かと深刻なトラブルがあったわけではありませんでした。

ただ、少しずつ感じるようになったのです。「この人とはもう何年も心の底から笑っていないな」「話題が昔の愚痴ばかりで疲れるな」「なぜか、会った後にどっと疲れる」──そんな相手が、いくつかの人間関係の中に確かに存在していました。

関係が“悪くない”だけに、切る理由もなく、ずるずると続けていた。それがいちばんの重荷だったのかもしれません。

「残り時間」が背中を押した

人間関係を断捨離しようと思った直接のきっかけはありません。でもある日、自分のこれからの時間を数えたとき、はっとしたのです。

健康寿命があと何年か──と。 だったら、その時間を「誰と過ごしたいか」「どんな空気の中で過ごしたいか」が、ぐっと大事になってくるのではないか。

人生の“これから”は、「つきあい続けるべき人」ではなく、「本当に会いたい人」とだけ、つながっていたい。そう思いました。

やめたのは、義理の関係と義務感

具体的にやったことはシンプルです。

  • いつも誘われて仕方なく参加していた集まりを断るようになった
  • LINEの返事を、心から返したい相手以外は無理に返さないようにした
  • 「また会おうね」と言われても、お世辞で返すのをやめた

もともと年賀状文化には縁がないので、そういう面倒さはありませんでしたが、気持ちとしては“人間関係の引き出しを一つずつ閉じる”ような感覚でした。

孤独にはならなかった

人間関係を整理したことで、逆に「孤独になるのでは?」という心配があるかもしれません。でも不思議なことに、私はまったく寂しさを感じませんでした。

むしろ、「自分で選んだ関係」だけが残っていくことに、心の軽さすら感じました。

年齢を重ねてからこそ、人との距離を調整できる知恵と覚悟が必要なのだと思います。義務でも惰性でもなく、自分の意志で「関わる・関わらない」を選ぶ。その自由が、心を支えてくれるのです。

人づきあいに“正解”はない

人づきあいを整理することは、何も人間嫌いになることではありません。「残された時間を、自分らしく、気持ちよく生きたい」という、ごく自然な心の整理です。

これまで築いてきた縁を大事にしたい気持ちもある。けれど、それをずっと持ち続けることが、自分にとって負担になっているなら、思い切って距離を置くことも必要なのかもしれません。

私にとって「断捨離」とは、手放すことではなく、選び直すことでした。 これからもきっと、人づきあいの形は変わっていくでしょう。でも、変えていいのです。年を取ったからこそ、「誰と」「どう」関わるかは、自分で決めていい。

それは、人生の終盤における、もっとも大きな自由の一つだと思っています。

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