
かつて「日本人の主食」と呼ばれ、家庭の中心にあった「米」。それが今、静かにそして確実に、私たちの食卓から遠ざかっています。
農林水産省の統計によれば、日本人1人あたりの年間米消費量は、1960年代には118kgを超えていました。それが2023年にはおよそ50kgまで落ち込み、もはや半分以下にまで減少しています。
その背景には、パンやパスタなど小麦製品の普及、共働きや単身世帯の増加による調理習慣の変化、さらには冷凍食品・コンビニ弁当などの中食への依存が広がったことなど、複合的な要因が存在しています。
しかし、米離れがここまで進んでしまったのは、消費者の選択だけが原因ではありません。国の政策が的確に機能してこなかったという側面も、無視できないのです。
農政の迷走と現場の疲弊
国産米の消費が落ち込む一方で、生産の現場も深刻な危機にさらされています。米農家の平均年齢は68歳を超えており、後継者は不足。農業の担い手が高齢化し続ける中、採算の合わない稲作から撤退する農家も相次ぎ、耕作放棄地が年々拡大しています。
かつては米の生産調整(いわゆる減反政策)によって価格維持が図られていましたが、これも廃止されました。以降、米の価格は自由競争にさらされ、需給のバランスが崩れれば価格が暴落するリスクすらあります。結果として、米農家は不安定な経営に苦しんでいます。
政府が打ち出している「スマート農業の推進」や「輸出による活路」といった施策は、現場から見ればどこか浮ついた印象を拭えません。必要なのは、一部の先進農家ではなく、地域の基幹農業を支えるすべての農家にとって現実的な支援なのです。
台頭する輸入米──6倍に増加した背景
こうした国産米の地盤沈下と裏腹に、輸入米の存在感が急激に高まっています。
とりわけ「ミニマム・アクセス(MA)米」と呼ばれる制度の下で、日本は年間76万トンもの輸入米を受け入れています。これはアメリカ、タイ、中国などから調達され、学校給食、外食チェーン、加工食品などに広く使われています。
この量は、20年前の6倍とも言われ、知らないうちに私たちの口に入っているケースも珍しくありません。スーパーで購入する炊飯用の米には「国産」と明記されていますが、冷凍炒飯やコンビニ弁当、業務用食材では、産地の記載が省略されていることもあります。
輸入米にひそむ「見えないリスク」
輸入米の懸念点は、価格だけではありません。最大の問題はその「安全性」です。
たとえばアメリカのカリフォルニア米では、収穫前の除草剤処理や畦道の雑草対策に「グリホサート」という除草剤が使われています。これはWHOの関連機関が「発がん性の可能性がある」と指摘している成分で、ヨーロッパでは使用を制限・禁止する動きが進んでいます。
タイ米でも、安価に流通する品種では除草剤や殺虫剤の使用が一般的です。熱帯モンスーン地域の水田では雑草や害虫が発生しやすく、農薬による管理が欠かせない事情があります。
一方で、台湾米は比較的安全性が高いとされています。台湾では国内向けの有機米・減農薬米の需要が高く、日本向けの輸出米には厳しい検査基準が課されているため、グリホサートの使用も抑えられています。
とはいえ、どの輸入米にも「ゼロリスク」はありません。日本国内では残留農薬の基準値以下であれば輸入可能ですが、検疫は基本的に「抜き取り検査」であり、すべての輸入米が完全にチェックされているわけではないのです。
炊飯の記憶が失われる国へ
こうして見ると、今の日本は「高くて売れない国産米」と「安くて不安な輸入米」という二極化の狭間に揺れています。そしてこの構造は、やがて「炊飯」という文化そのものを破壊しかねません。
家庭で炊飯器を使わなくなり、電子レンジやコンビニ弁当に頼る生活。子どもたちが「ごはんの炊き方」を知らないまま大人になり、米は徐々に「特別な食べ物」へと後退していく──そんな未来が、すでに始まっているのです。
食の安全と文化を守るために
いま私たちにできることは、「米を選ぶ」という小さな行動から始まります。地元の農家が作ったお米を買う、特別栽培米や有機米を意識して選ぶ、毎日でなくてもごはんを炊く習慣を取り戻す──それが、農業を支え、家族の健康を守り、食文化をつなぐ第一歩になります。
「安ければいい」「便利ならそれでいい」という時代は、もう終わらせなければなりません。
米離れは、日本の農業の問題であると同時に、私たちの暮らし方、生き方の問題です。そして政府が頼りにならない今、消費者の選択こそが、この国の未来を決める力になるのです。
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