あの頃の未来に、今わたしはいるのか──2000年代前半の予言と現実

あの頃の未来に、今わたしはいるのか──2000年代前半の予言と現実 語りたくなる昔ばなし

2000年代初頭、私たちは今の時代をどんな風に想像していただろうか。

ノストラダムスの予言を乗り越え、ミレニアムの幕開けとともに人々は「これからは夢のような未来がやってくる」と信じていた。テレビ、雑誌、インターネット──さまざまなメディアで語られた“未来像”は、テクノロジーにあふれ、人類がより自由に、より豊かに生きる時代を描いていた。

だが、2025年の今、その未来はどこまで実現しているのだろうか。少し肩の力を抜いて、あの頃の夢と現実を比較してみよう。


【1】空飛ぶクルマと自動運転

雑誌やテレビ番組では「空飛ぶクルマ」が“近未来”の象徴として語られていた。2020年には空を飛ぶ自動車が道路と空を自由に行き来するという話も。

▶現実は?
空飛ぶクルマの試験は一部で始まっているが、まだ一部の富裕層向けコンセプト段階。むしろ現実に進んだのは「自動運転車」だ。しかしこちらも完全な無人運転はごく限られた場所だけで、法整備や事故責任の問題が未解決のまま。


【2】ロボットと一緒に暮らす日常

2000年前後には「家庭にロボットが常駐し、炊事・洗濯・介護までしてくれる」というイメージが広がっていた。ASIMOやAIBOの登場はまさにその象徴だった。

▶現実は?
ロボット掃除機やスマートスピーカーは当たり前になったが、人型ロボットが家事や介護をこなすような未来はまだ遠い。むしろAIによる“非物理的な支援”が進んだといえる。たとえば、ChatGPTに話し相手や相談役を求める人も増えている。


【3】紙の消滅と完全デジタル化

2000年代の未来予測では「紙はなくなる」と断言する声も多かった。電子書籍、電子マネー、電子政府……すべてがデジタルになると。

▶現実は?
紙の使用量は減ったものの、完全には消えていない。契約書類や官公庁の手続き、医療現場ではまだ紙が根強く残る。高齢者のデジタル苦手意識や、セキュリティ上の問題も影響している。


【4】働かなくてよくなる未来

「ロボットとAIが人間の仕事を奪う」「週休4日が当たり前」──そんな“希望的観測”も多かった。未来は楽になると、誰もがどこかで信じていた。

▶現実は?
逆に格差が広がり、働き方が多様化・過酷化している。特に高齢者は年金だけで暮らせず、70歳を過ぎても働かざるを得ない現実がある。副業やアルバイトで糊口をしのぐ生活も珍しくない。


【5】人と人とのつながり方

「ネットが進化すれば、国境も年齢も関係なく自由に交流できる」──そんな夢があった。しかし、これは本当に実現したのだろうか?

▶現実は?
たしかにSNSやZoomで世界中とつながれるようになった。しかしその裏で孤独死や“無縁社会”が進行している。リアルな関係が希薄になり、ネット上での誹謗中傷や分断も深刻化。便利さと引き換えに、人との距離感は難しくなったとも言える。


◆ 結局、未来は「想像より地味」だった?

20年前に夢見た未来は、部分的には実現している。しかしそのほとんどは“便利だけど地味な進化”であり、派手で劇的な変化は少ない。

むしろ人間社会の根本的な問題──格差、老後の不安、孤独、戦争──は何も解決されていない。それどころか新しい技術が新しい不安を生んでもいる。

だからこそ、私たちは「未来に何を期待し、何を諦めるのか」を見直す時期に来ているのかもしれない。

あの頃の未来に、私は確かにいる。
だが、その未来は思っていたよりも、ずっと現実的で、ずっと私たち次第なのだ。

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