名を残さず、ただ消えていく──本当の孤独死

名を残さず、ただ消えていく──本当の孤独死 こころと生き方

人は誰しも一人で生まれ、一人で死んでいく。
そう頭では分かっていても、どこかで「誰かに覚えていてほしい」という小さな願いがある。
しかし、その願いすら持たずに、誰にも見送られず、誰の思い出にも残らず消えていく死がある。
それが、本当の意味での孤独死なのかもしれません。

誇りもプライドもない最期

孤独死する人の心に、誇りやプライドがあるのかと問われれば、きっとそうではないように思えます。
むしろ、それらを持つことを諦め、手放してしまった心境に近いのかもしれません。
「立派な死に方」を意識するほど、孤独死は遠ざかります。
立派さを演じる観客もいないからです。

そこにあるのは、ただ淡々と終わりを受け入れる心。
時に諦め、時に無感覚。
「もうどうでもいい」という投げやりではなく、
「もう十分だ」という疲れたつぶやきでもなく、
感情がすり減った末の静けさのようなものです。

誰の記憶にも残らないということ

孤独死は、遺された人の記憶の中で語られることが少ないでしょう。
家族がいなければ語る人もいません。
友人がいなければ、最期を惜しむ声もありません。
名を残すこともなく、写真も整理されず、
時間の中でその存在は薄れていきます。

それを「哀れ」と言う人がいるでしょう。
しかし、哀れと感じるのは生きている者の価値観です。
本人は、自分が思い出されないことすら気にしないはずです。
死んでしまえば、記憶も誇りも不要だからです。

ただ消えることの静けさ

外から見れば悲惨な現場も、本人の最期の瞬間は案外静かなものかもしれません。
布団の中で眠るように息絶えることもあれば、
椅子に座ったまま、ただ意識が遠のくだけのこともある。
「誰にも気づかれず腐っていく」その過程を、
本人が見ることはありません。
死後の惨状は、生きている者が勝手に抱く恐怖にすぎないでしょう。

孤独死は、立派な死でも美しい死でもない。
ただ、生が尽き、命が消える──それだけです。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない事実が、
かえって死を自然なものにしているようにも思えます。

名も痕跡も残さず

本当の孤独死は、
誰の胸にも響かず、記録も残らず、
ただ一人の人間がこの世界から消えるだけです。

その姿は、誇りでもプライドでも飾られません。
それでも、最後まで自分の時間を生き抜いたことは確かです。
名を残さずとも、一人で生き、一人で死んでいった。
それだけで、ひとつの人間の物語は静かに完結していくのでしょう。

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