坂村健という思想家──TRONに込められた未来像

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シリーズ連載:日本のOSはなぜ消されたのか?──TRONの記憶
第5回:坂村健という思想家──TRONに込められた未来像

TRONプロジェクトの中心人物、坂村健(さかむら・けん)は、日本の技術史における稀有な存在です。彼は単なるプログラマーや学者ではなく、「思想家としての技術者」と呼ぶにふさわしい人物でした。日本発のオープンなOS構想を掲げ、その思想は技術を超えて社会のあり方にまで踏み込んでいました。

リアルタイムOSと社会の未来

坂村氏は東京大学出身の工学博士であり、1980年代初頭からTRON構想を発表しました。TRONとは「The Real-time Operating system Nucleus」の略称で、単なるOSのひとつではなく「OSの集合体」として構想されたものでした。リアルタイム処理を基盤とし、パソコン向けのBTRON、組込み機器向けのITRON、産業用のCTRONなど、複数のサブプロジェクトが並行して進められました。

最大の特徴は、「ヒトとモノと情報がシームレスにつながる社会」を目指していた点です。すべてのモノが情報を発信し、相互に通信する世界──これは現在でいう「IoT(Internet of Things)」の先駆けであり、40年以上前にこの発想を描いていたこと自体が驚異的です。

オープンアーキテクチャの精神

坂村氏の思想で特に重要なのは、「オープンアーキテクチャ」の徹底でした。TRONの仕様は無償で公開され、誰でも利用・実装できるように設計されていました。これは特定企業に縛られない技術の民主化であり、いわば“国家レベルのオープンソース”構想でした。

当時のコンピュータ業界では、米国製のOSやソフトウェアがブラックボックス化され、囲い込みを強めていました。その中でTRONは透明性と公共性を前面に打ち出し、技術を人類全体の財産として開放しました。坂村氏は、技術を単なる道具ではなく「文化」と捉えていたのです。

文化としてのコンピュータ

坂村氏が「コンピュータは文化である」と説いたことは特筆すべき点です。BTRONでは日本語処理を重視し、漢字コード体系を独自に設計しました。欧米仕様をそのまま輸入するのではなく、日本人が自然に使える環境をつくる──それは効率を超えた文化的な挑戦でした。

当時は「グローバル標準」に従うことが是とされていましたが、坂村氏はあえて日本の文化に根ざした設計を貫きました。結果としてBTRONは普及の壁に阻まれましたが、その思想は後の日本語処理やUI設計に確実に影響を与えています。

全方位型の推進者

坂村氏の特異性は、構想だけでなく実装・普及・交渉まですべて自ら行った点にあります。TRONチップの試作、ソフトウェアの設計、企業や官庁との折衝、メディアを通じた広報活動──その全てを自らの手で推進しました。これほどまでに多面的に活動した技術者は、日本の歴史において他に例がありません。

また彼は、一般層への発信にも長けていました。難解な専門用語を並べ立てるのではなく、わかりやすい言葉で社会に語りかけたことで、多くの人々がTRONの理念に触れることができました。TRONは技術者だけの夢ではなく、社会全体の未来像だったのです。

TRONは失敗だったのか?

TRONプロジェクトは「BTRON排除事件」によって学校導入計画が中止され、「挫折した国家プロジェクト」と語られることが少なくありません。しかし本当に失敗だったのでしょうか。事実として、TRONの思想や技術は現在も生き続けています。特にITRONは自動車、家電、通信機器といった組込み分野で広く採用され、世界標準となりました。

私たちが日常的に使う機器の多くは、実はTRONの延長線上にあります。坂村氏の思想は、静かに社会を支え続けているのです。

思想が生きる時代へ

AIやIoTが当たり前となった現代社会は、坂村健が描いたTRON社会の延長にあります。情報があらゆるモノに宿り、相互につながり、社会を形作る。坂村氏は40年前にこの未来を構想していたのです。

彼のビジョンは利権や囲い込みではなく、すべての人が自由に情報と技術を扱える社会でした。技術が人に寄り添い、文化を育て、未来を形づくる。TRONは忘れ去られた存在ではなく、その思想はむしろ今こそ再評価されるべきなのです。

坂村健という稀有な思想家。その足跡を振り返るとき、私たちが生きる現在が彼の描いた未来に重なって見えるのです。

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