江戸時代といえば「米の国」。大名の領地は「何万石」で表され、武士の給与も米で支給されました。では、その膨大な米は実際に誰が食べていたのか。本稿では、石高制の基礎から流通の実態、庶民の購買力(米価)と税負担(町入用・運上金/冥加金)まで、生活のリアルに踏み込んで整理します。
石高制の基礎──「1石=成人男性1年分」の目安
石高(こくだか)は、その土地で見込まれる年貢の基準で、領地の格式や大名の力の大小を測る「経済スケール」でした。
目安としての1石は成人男性の1年分の米(約150kg)。例えば「10万石の大名」は、理屈の上では10万人分の食糧に相当する量を基盤にしていたことになります。ただし石高は徴税上の評価基準であり、現実の収穫量や可処分量とは必ずしも一致しません。
年貢と消費の分配──農民は雑穀中心、武士は現金化、町人が主な消費者
農民:作るが、日常は雑穀が中心
収穫米の相当部分(地域・時期により幅はあるが概して高率)が年貢として徴収され、農家に残るのは自家消費と種籾・翌年用の備え。
そのため農村の日常の主食は粟・稗・麦などの雑穀が中心で、白米はハレの日のご馳走という位置づけでした。
武士:米で俸禄→市場で売却(蔵米)
武士は米で俸禄(給与)を受け取るのが原則。ただ一家で消費する以上の量を抱えるため、米を蔵屋敷や米問屋で売却して現金化し、住居費や衣料・日用品の購入に充てました。従って武士は「米の最終消費者」というより、流通に供給する側の役割が大きかったのです。
町人:都市の胃袋を満たす最終消費者
江戸は人口100万規模の巨大都市。各藩の年貢米は江戸・大坂・京の蔵屋敷へ集められ、市場に放出されました。
その結果、都市の町人・職人が白米を日常的に購入・消費。米は都市生活の「命綱」であり、石高制で動く米は最終的に都市の胃袋へ吸い込まれた、と言えます。
- 農民:年貢負担が重く雑穀中心
- 武士:米俸禄を売って現金化
- 町人:市場で米を買い日常的に消費
米価と庶民の購買力──「買える価格」+ 小口販売が鍵
「町人が米を日常的に食べた」という実態の背景には、米価が庶民の手の届く水準にあったことと、小口販売の仕組みがありました。
- 米価の目安:時期・地域・米の等級で変動しますが、江戸では史料上、概ね1両 ≒ 1石(約150kg)前後の目安がしばしば見られます(大工・職人の月収に相当する感覚)。
- 小売の発達:米屋が一日分・一食分に近い小口で販売(例:一合=約150gなど)。少額でも買える仕組みが都市で整っていました。
- 栄養の落とし穴:白米偏重により、江戸では脚気(ビタミンB1不足)が「江戸患い」と呼ばれるほど流行。食べられたが、栄養は偏ったという皮肉な実態も。
総じて、都市の賃金水準・小口市場・流通整備の3点セットが、町人にとっての「米の可処分性」を高めたと言えます。
江戸の町人は税金をどう負担?──年貢は免除でも、別の形で担う
年貢(米の税)は土地を持つ農民の負担であり、江戸の町人・職人・商人は直接の納税者ではありませんでした。ただし、間接的・共同体的・営業的な負担が存在します。
1)価格転嫁による間接負担
年貢米→蔵屋敷→市場という流れで、年貢の重さは米価に反映されます。庶民は米を買うたびに、実質的に国家・藩財政を間接負担していた構図です。
2)町の共同経費「町入用」
橋や道路の補修、火消し、町役人の手当など、都市運営のコストは町人が拠出(今日の住民税・自治会費に近い性格)。暮らしの安全・衛生・インフラを支える「都市内部の税負担」でした。
3)商人の運上金・冥加金
酒・油など特権的な営業や大規模商いは、幕府・藩に営業上の負担金を納めて許可や保護を得ました。現代でいえば、営業許可料+業種別課金・規制コストのイメージです。
流通の中心地と仕組み──蔵屋敷・米問屋・大坂「天下の台所」
各藩は江戸・大坂・京に蔵屋敷を置き、年貢米を集めて売却。
江戸は巨大消費地として、米問屋・小売(米屋)のネットワークが張り巡らされ、大坂は「天下の台所」として全国の米・物資の集散機能を担いました。こうした供給網が、町人の毎日の「買える・食べられる」現実を支えます。
石高=豊かさではない──GDPと生活の比喩
石高は国家・藩の財政規模の指標であり、庶民の豊かさとは自動的に一致しません。
農民は年貢負担で白米を口にしにくく、町人は賃金と市場アクセスで白米を得た。これは現代に置き換えれば、「GDPの大きさ」と「家計の実感」のズレに似ています。
- 石高は徴税・格付けの尺度。収穫=即ち庶民の豊かさではない
- 農民は重い負担で雑穀中心、武士は米を現金化、町人が白米を日常消費
- 米価は庶民の手が届く水準+小口販売でアクセス良好。ただし白米偏重で脚気が流行
- 町人は米価を通じて間接負担し、町入用や運上金/冥加金でも都市運営・財政に貢献
「米本位」の社会を動かしたのは、都市の胃袋
江戸の米は、単なる食料ではなく経済の基軸でした。生産(農村)→徴収(武士)→流通(蔵屋敷・問屋)→消費(町人)という循環が、巨大都市・江戸の日常を支えます。
「米は誰が食べたのか?」の答えは明快です。最大の消費者は都市の庶民でした。そして、その可処分性を支えたのは、流通網・小口販売・都市賃金の三点セット。石高制の裏側には、生活のディテールが確かに息づいていたのです。
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