第2回:BTRONはなぜ消えたのか?幻の国産PC OSの栄光と挫折
1980年代、日本発のOS計画「TRON(The Real-time Operating system Nucleus)」が注目を集めていました。その中でも、パーソナルコンピュータ向けに開発されたBTRON(Business TRON)は、「日本人による、日本人のためのOS」として大きな期待を背負って登場しました。
しかし、2025年の現在、私たちが普段使っているパソコンのOSは、Windows、macOS、Linuxが主流であり、BTRONの姿はどこにも見当たりません。一体、BTRONはなぜ姿を消したのでしょうか?その背景と未来への教訓を探ってみます。
■ BTRONとは何だったのか
BTRONは1987年に坂村健教授らによって開発が始まりました。特徴は、漢字を含む膨大な文字コード(TAD:TRONコード)への対応、多言語処理、そして文書の構造を厳密に定義する「実身/仮身モデル」という独自のデータ管理方式です。
また、操作画面やウィンドウシステムも“日本語のためのGUI”として設計されており、当時の日本の教育機関向けに導入が進められる予定でした。
■ なぜ消えたのか──BTRONの挫折
BTRONが本格的に展開される直前、1989年に起きたのが「BTRON排除通達」と呼ばれる事件です。これは、当時の通商産業省(現・経済産業省)が、教育用PCへのBTRON導入を見送るよう通達を出したものです。
その背景には、アメリカ政府の“外圧”があったといわれています。BTRONを標準OSとすることで日本市場が外国製OSにとって“閉ざされた市場”になるという懸念があり、日米構造協議の文脈で強い圧力がかかったとも報じられています。
結果、日本の学校現場にはWindows搭載PCが普及し、BTRONは“幻の国産OS”となってしまいました。
■ 技術的に時代を先取りしていたBTRON
しかし、BTRONの思想や技術は決して劣っていたわけではありません。以下のような点で、むしろ“時代の先”を行っていたとも言えます:
- 完全ユニコード化以前に、多言語対応を標準装備
- 文書とデータの関係を構造的に管理する先進的設計
- ユーザーがOSの振る舞いを細かく制御できる柔軟性
また、当時のPC環境に対して軽量で高速だったBTRONは、日本語環境において非常に高い親和性を持っていたのです。
■ TRONの思想は今も生きている
BTRONは消えてしまったように見えますが、その思想はTRONプロジェクト全体に受け継がれています。特に、組み込み用途でのI-TRONや、T-KernelをはじめとするリアルタイムOSは、現在も多くの家電製品、自動車、医療機器に採用されています。
さらに坂村教授は、ユビキタスネットワーク社会の実現に向けて「Open IoT推進フォーラム」などを立ち上げ、TRONの理念を現代の技術と融合させ続けています。
■ BTRONの挫折から学ぶこと
技術が優れていても、政治的な思惑や国際関係によって潰されてしまうことがある──BTRONの歴史は、それを如実に物語っています。
同時に、国産技術を守り、発展させるためには「使われる場」「支える人」「理解する社会」が必要です。今、国際的な技術競争が激化する中で、私たちは同じ過ちを繰り返してはいけません。
◆ 幻では終わらないために
BTRONの物語は、単なる技術の挫折ではありません。それは「理想のOSとは何か?」を問いかけ続けた、一つの挑戦でもありました。
TRONの技術と哲学は、今なお静かに、しかし確実に私たちの生活の中に生き続けています。そしていつか、「あのときの挑戦が、ここに実った」と言える日が来ることを、私たちは願ってやみません。
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