自民党や都民ファーストが安定的に票を得られるのは、主に高齢者層からの強い支持があるからです。彼らは熱心なテレビ視聴者であり、新聞の内容を疑いません。その一方、SNS上ではまったく異なる空気が流れています。「テレビは嘘ばかり」「新聞は権力の代弁者」。
二つの情報世界が並行して存在する今、私たちはこう問いかけるべきです──この国の真実は、どちらにあるのか。
“国民の多数派”は、本当にわかっているのか?
選挙のたびに不思議なことがあります。街の空気は変わっているのに、結果は変わらない。なぜか? それは、「多数派」が実際には“何も変わっていない”からです。
テレビのワイドショーで紹介された候補に票が集まり、新聞が好意的に書いた政策が信じられる。そんな層がまだまだ圧倒的に多く、彼らの年齢層はおおむね60代以上。
もちろん全員ではありませんが、多くは情報に対して受動的で、長年慣れ親しんだ「NHK・朝日・読売」の報道をそのまま事実として受け取ります。
オールドメディアが作った“安心”と“操作”
かつてテレビや新聞は、社会の信頼の源でした。ある種の「公共財」として機能し、国民に必要な情報を届けてきた。それは事実です。
しかし今、その構造は壊れています。
政治とメディアが癒着し、「報道されない事実」が増えてきた。特定の政党に不利な情報は小さく扱い、新興勢力や草の根運動は無視される。 一方で、大企業や大政党に有利な解釈ばかりが繰り返される。
情報の偏りは、見えない「選挙操作」にもつながります。つまり、国民が“知らされない”ことこそが最大の誘導手段になっているのです。
SNSという“もうひとつの国”
一方、SNSの世界はまるで別の国のようです。参政党の候補が真剣な街頭演説を繰り返し、維新や無所属の議員が自ら情報を発信し、時には大手メディアが報じない資料をアップする。
もちろんSNSにも嘘や誤情報はあります。でも同時に、「誰かが語る真実」にアクセスできる道が開かれていることも事実です。
そこには、テレビには映らない声、新聞には載らない事実、そして「まだ伝えられていない希望」が詰まっています。
“目覚める”ということは、痛みを伴う
年を重ねた人が、今まで信じてきたものを否定するのは難しいことです。 「テレビは嘘をつくことがある」「新聞も偏る」「自民党にも裏がある」──こうした事実を認めるには、ある種の“心の痛み”が伴います。
だから高齢者が目覚めにくいのは、単に無知なのではなく、「安心していたい」という心の問題でもあるのです。
けれども、それを変えていく鍵は、やはり“情報の力”にあると私は思います。
未来は、誰が“国”を築くかで決まる
テレビに映る国が真実だと思う人と、SNSで語られる国を見ている人。 この二つの層が、まったく違う未来を信じているなら、いずれどちらかが“消える”のではなく、“融合する”時が来るのでしょう。
私は、真実が語られる方の国にいたいと思います。 それが間違っていたとしても、自分で確かめ、自分で疑い、自分で判断する場所で生きたい。
あなたは、どちらの国にいますか?
テレビの中の国に安心を覚えるのも、SNSの中の言葉に希望を見出すのも、どちらも人間です。
でも、選ぶのはあなたです。 「与えられた情報」を信じるのか、「探しに行った言葉」を信じるのか。
この時代の分かれ目は、実はそこにあるのではないでしょうか。
静かに、けれど確実に、私たちはそれぞれの“国”を選び始めています。
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