阿波風土記とは
ChatGPTで阿波風土記のことを調べてみます。
阿波風土記とは。
ChatGPT:『阿波風土記』は、日本の古典文学の一つで、徳島県の歴史や地理、風土、伝承などを記した書物です。この書物は、平安時代後期にあたる12世紀に成立しました。阿波(あわ)は現在の徳島県の旧称で、風土記とは地方の風習や歴史、神話などをまとめた記録のことです。
阿波風土記は明治初期まで阿波藩が所持していたようですが、その後行方知れずになっています。萬葉集註釋という書物に逸文が残っているそうなので、萬葉集註釋について聞いてみました。
ChatGPT:『萬葉集註釋』は、『万葉集』と呼ばれる日本の古典的な和歌集に対する注釈書です。『万葉集』は、日本の古代から中世初期にかけての和歌を収めた最も古い勅撰和歌集であり、約4500首の和歌が収録されています。
萬葉集註釋は万葉集の注釈書としています。阿波風土記との関連性を問いましたが、わからないという回答でした。様々な解釈の研究家がいるとは思いますが、そこまでは踏み込んでこないようです。
萬葉集註釋に残る阿波風土記の逸文は下記の5項目です。
阿波国風土記プロジェクト① 天皇の稱號(しょうごう) (萬葉集註釋 卷第一)
阿波國風土記ニモ
或ハ 大倭志紀彌豆垣宮大八島國所知(やまとのしきのみづがきのみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 朝庭云、
或ハ 難波高津宮大八島國所知(なにはのたかつのみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 云、
或ハ 檜前伊富利野乃宮大八島國所知(ひのくまのいほりののみやにおほやしまぐにしろしめしし)天皇 云。
② 中湖 (萬葉集註釋 卷第二)
中湖(ナカノミナト)トイフハ、牟夜戸(ムヤノト)ト與奧湖(オクノミナト)トノ中ニ在ルガ故、中湖ヲ名ト為ス。
阿波國風土記ニ見エタリ。
③ 奈佐浦 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波の國の風土記に云はく、奈佐の浦。
奈佐と云ふ由は、其の浦の波の音、止む時なし。依りて奈佐と云ふ。海部(あま)は波をば奈と云ふ。
④ アマノモト山 (萬葉集註釋 卷第三)
阿波國ノ風土記ノゴトクハ、
ソラ(天)ヨリフリクダリタル山ノオホキナルハ、阿波國ニフリクダリタルヲ、アマノモト山ト云、ソノ山ノクダケテ、大和國ニフリツキタルヲ、アマノカグ山トイフトナン申。
⑤ 勝間井 (萬葉集註釋 卷第七)
阿波の國の風土記に云はく、
勝間井の冷水。此より出づ。
勝間井と名づくる所以は、昔、倭健天皇命、乃(すなは)ち、大御櫛笥(おおみくしげ)を忘れたまひしに依りて、勝間といふ。
粟人は、櫛笥をば勝間と云ふなり。井を穿(ほ)りき。故、名と為す。
①天皇の称号
阿波風土記にも
「大倭志紀彌豆垣宮(やまとのしきのみづがきのみや)」におられた天皇が、大八島国についての情報を知っていた
「難波高津宮(なにはのたかつのみや)」におられた天皇が、大八島国についての情報を知っていた
「檜前伊富利野乃宮(ひのくまのいほりののみや)」におられた天皇が、大八島国についての情報を知っていた
つまり複数の天皇が「大八島」についてご存じであったということでしょう。
複数の天皇が知る「大八島」は、単なる地方ではなく重要な地だったと思われます。
天皇が知る「大八島」とはなんでしょう?
ChatGPT:大八島(おおやしま)は、古代日本の地名で、現在の徳島県や香川県の一部に相当する地域を指します。具体的な位置や範囲は、古代の地名の解釈や変遷によって異なる解釈がありますが、一般的には四国地方の一部として考えられています。
大八島は、古代から中世にかけて、その地域の重要な地域の一つでした。そのため、古代の文学作品や史料において、大八島に関する記述が見られます。『阿波国風土記』などの文献にも、大八島に関する記述が含まれています。
現在の徳島県や香川県の一部が大八島に該当する地域と考えられており、その地域は四国地方の南部に位置しています。
徳島県や香川県の一部とありますから、徳島県はほぼ全域、香川県は南部の一部と考えていいのでしょうか。
②中湖(ナカノミナト)
中湖は、日本の古代において、現在の徳島県に位置する湖の名前。この湖は、牟夜戸(ムヤノト)と奥湖(オクノミナト)の間に位置しているため、「中湖」という名前が付けられた。との記載が阿波風土記に見られる。
中湖、牟夜戸、奥湖についてはChatGPTに問うてもわからないようでした。
現在の地名で徳島県鳴門市に撫養という地名があります。撫養には港もあります。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で竜馬が大阪に渡るのに利用したのが撫養港じゃなかったっけ?
不確かな情報ですみません。手元には無いので機会があれば再読してみます。
あまり重要な記載ではないようなので次に行きます。
③奈佐浦(なさうら)
阿波風土記には奈佐の浦とある
奈佐という地名は、その浦の波の音が絶え間なく聞こえることからきていると説明されています。海部(あま)という地名は、波を「奈」と呼ぶことに由来しているとされています。
徳島県南部の海陽町には「那佐港」という港があります。海陽町は海部(かいふ)郡に属しています。
④ アマノモト山
ChatGPT:まず、「ソラ(天)ヨリフリクダリタル山」は、「天より降りくだりたる山」という意味で、阿波国に降り立つとされています。この山は「アマノモト山」と呼ばれています。この山は、天から降りてきたという伝承があり、阿波国の山々の中で特に重要視されています。
次に、「大和国に降りつきたるを、アマノカグ山と云ふとなん申」とあります。これは、同じく天から降りた山が大和国にあるが、その名を「アマノカグ山」と呼ぶか尋ねたということを示しています。
これは以前書いたことのある、天の香具山のことです。
天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる。
天の香具山
伊予風土記では2つに分かれて落ちたとされ、阿波風土記では阿波に落ちて砕けた一部が大和に落ちたとされています。どうなんでしょうね?
⑤勝間井
ChatGPT:「勝間井」という地名は、倭健天皇が大御櫛笥(おおみくしげ)を忘れてしまい、それを探していた際に、櫛笥を忘れた場所で水が湧き出ていたため、「勝間」という名前が付けられたとされています。
「粟人は、櫛笥をば勝間と云ふなり」という一文からは、櫛笥を「勝間」と呼ぶ風習があったことが示唆されています。そして、その地に井戸を掘ったことで、その地が「勝間井」と名付けられた経緯が説明されています。
倭健天皇はヤマトタケルノミコトです。
粟人とは阿波人のことです。阿波人は櫛笥を「勝間」というそうです。知らなかった。
勝間井という地名を聞いてみました。
ChatGPT
「勝間井」(かつまい)は、古代日本の地名であり、現在の徳島県三好市にある地名です。この地名の由来は、「阿波国の風土記」に記されています。
ヤマトタケルノミコトが徳島県三好郡で井戸を掘ったという記載ですが。ヤマトタケルノミコトが阿波の地に関りがあるということでしょう。
とりとめのない話ですが続きます。
コメント