勝間井
先日のChatGPTに聞いた勝間井の話です。
ChatGPTの話では勝間井は徳島県三好市にあるとのことですが、どうも嘘くさい。
再度聞いてみたのですが、
ChatGPT:「勝間井」という場所については具体的な情報がなく、一般的な地名としても知られていません。もし特定の地名や場所についての情報を求めている場合は、地名や地域の詳細を教えていただけると、より正確な情報を提供できるかもしれません。
と言ってることが違うのです。信用できませんね。
調べてみても勝間井という地名は無いようです。
徳島県三好市の何処かに比定されてる研究家の方の説を読んだ記憶があるのですが、ネットで探しても分かりませんでした。
徳島県阿波郡阿波町勝命に比定されている説もあるようです。
舌洗池
勝間というのは阿波の方言で櫛の意味だそうですが、この勝間池は別の物語で出てきます。
源義経が元暦2年(1185年)2月17日に小松島付近に上陸し、この地で小休し、馬に水を飲ませたと云われている。義経は里人に地名を尋ね「勝間の井戸」という答えに、幸先が良いと喜んだという逸話が残っており、このことから現在の地名となったとされる説がある。
舌洗池は、旧下九ケ村の灌漑用水であったため、水神さん、弁天さん、観音さんを祀る等、水源地として大切にされてきた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』舌洗池
この舌洗池は徳島県徳島市国府町観音寺に位置する池です。
舌洗池の西1㎞位の所に白鳥神社、南南西1㎞位の所には天石門別八倉比売神社があります。
白鳥神社。この白鳥は白いカラスだったと聞いたことがあります。
創建年は不詳。社伝によると、東国を征定の帰途に毒に触れて亡なった日本武尊が白鳥となって天昇し、この地に舞い降りたとされている。仲哀天皇が建てたとされ、日本武尊命の息子である息長田別王(阿波国造)が崇拝したと云われる。
「日本三代実録」には、861年(貞観3年)に従五位下、883年(元慶7年)に従五位上を授かったと記されている。また当神社は、香川県東かがわ市の白鳥神社の元宮とされる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』白鳥神社
天石門別八倉比売神社は以前にブログに書きました。
義経公が幸先がよいと言ったということなので、ヤマトタケルノミコトの所縁の池ということで幸先がよいということになったのだと言う意味でしょう。
勝間井というのは複数あるのでしょうか?
まあ、とにかく、ヤマトタケルノミコトがらみの池であることは間違いないようです。
ヤマトタケルノミコト
ヤマトタケルノミコトについてはあまり知識がないのですが、女装してクマソタケルに近づき、油断させて刺し殺したり、事前に対決相手の刀をすり替えて相手を戦闘不能にしておいて殺したりと、現代の感覚だと卑怯とも思える方法で敵に勝つイメージがあります。
この時代に卑怯という概念はなかったのでしょうか?
ヤマトタケルノミコトについては少し調べてみたいと思います。
阿波弁で櫛を勝間というのだそうですから、勝間井というのは阿波にしかないのだと思えます。
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