鳴門市大麻町の大麻比古神社に参拝

日々の雑記

鳴門市大麻町の大麻比古神社に参拝した記録

2018年4月16日

徳島県鳴門市大麻町についてのうんちく

大麻町は阿讃山脈の東の端、南側に位置する鳴門市の一番西側の町です。

どうも阿讃山脈というのは徳島県側の通称のようで、本来は讃岐山脈というのが正解のようです。しかしながら徳島県側では阿讃山脈と呼んでいます。

現に大麻町から阿讃山脈を北に超えても、鳴門市の北灘町というところに出るので、少なくともあの辺りは讃岐山脈ではないと思うのですが。

と、徳島県側が屁理屈を並べても、香川県側からしたら、何言ってんの?って感じでしょうか。

まあ、徳島県も香川県も、ついでに高知県も、合併、分離を繰り返してきた歴史がありますから。と言っても廃藩置県の時代ですが。

明治4(1871)年7月の廃藩置県で「徳島県」が設置されましたが、11月には「名東県」に改称、1873年2月には香川県を編入して名東県の管轄としました(1875年9月まで)。明治9年8月には旧淡路国が兵庫県に編入され、旧阿波国も高知県の管轄となり名東県が廃されました。そして、明治13年に徳島県が再設置され、現在に至っています。

徳島県のHP

大麻町は「おおあさちょう」と読みます。「たいまちょう」ではありませんので。

徳島県は麻のと関係が深い地です。現吉野川市も以前は麻植郡と呼称していました。麻植郡の地名は古代に阿波忌部氏が麻を植え天皇家に献上したことなどが関係しているのでしょう。

何故、麻植の名を消滅させたのでしょうね。

現在でも天皇が即位される時の儀式に「大嘗祭」というのが行なわれます。その時に天皇なられる方(皇太子)が「麁服(あらたえ)」という麻の衣を羽織ることで天皇となられるわけです。

「あらたえ」は阿波忌部氏の末裔で、徳島県の剣山の麓にある木屋平村の「三木家」のみが麻を植え、「あらたえ」を製作、献上する任を担っています。

今回は神社の話なので阿波忌部氏等の話はまたの機会に。

今日はいい天気でした。この大鳥居をくぐると、両側に灯篭の並んだ参道がしばらく続きます。灯篭の後ろの木は、クスノキが多かったように思います。以前は松が並んでいたそうですが、松くい虫にやられて枯れてしまったそうです。

大鳥居をくぐらず、すぐ右側に天神社が造営されています。

大麻比古神社の末社とされています。学問の神様とありますので、菅原道真公が祭神かと思われます。菅原道真公は大宰府に左遷される折、大阪から乗った船が嵐に遭遇し、阿波国に流れ着き、しばらく滞在された記録があります。

大麻比古神社の参道

大鳥居をくぐると、しばらく参道が続きます。参道は車で進入できます。両側には灯篭と木が並んでいますが、民家もあり、わき道が交差しています。車も通行できますし、対向できるくらいの広さがあります。

参道を突き詰めると橋を渡ります。朱塗りの欄干の派手な橋です。

この橋は「はらいかわ橋」といいます。橋の下は川ですが、水はほとんど流れていないと思います。この橋も車で渡れます。

「はらいかわ橋」を渡って正面にまた鳥居があります。そこが本殿の入り口です。鳥居の向こうに駐車場がありますが、10台ほどしか停めることができません。神社の繁忙期は橋手前左側に大きな駐車場があります。そこに駐車して歩いて渡ります。

渡ってから振り返って撮影しました。 

大麻比古神社についてのうんちく

地元では「おあさはん」と呼んでいます。「おおあさはん」「おおあささん」とも呼ぶと書かれているサイトなどを見ますが、あまり聞いたことがありません。

間違いではありません。でも、「おあさはん」が正しい呼び名でしょう。このブログでは「おあさはん」と呼びます。

お祭りされているのは、大麻比古大神と猿田彦大神です。大麻比古大神は阿波忌部氏の大祖、天太玉命(あめのふとだまのみこと)のことです。

明治以前は天日鷲神(あめのひわしのかみ)が祭られていましたが現在は天太玉命(あめのふとだまのみこと)を主祭神としています。天日鷲神(あめのひわしのかみ)も阿波忌部氏の祖神です。

猿田彦大神、猿田彦命(さるたひこのみこと)が本来の主祭神であるという説もありますが、現在では猿田彦大神が大麻山山頂にあったのを合祀したものとされています。

天太玉命(あめのふとだまのみこと)は天津神、猿田彦命(さるたひこのみこと)は国津神であって、本来敵対する神が合祀されているのは何故なんでしょうね。

「はらいかわ橋」を渡る

「はらいかわ橋」を渡ると石造りの鳥居があり。その中が駐車場となっています。普段はここに駐車できます。新車を買った際にお払いを受ける慣習がありますが、通常この駐車場で受けます。

正面の石段を上がると、右側に手水舎があります。

さらに正面に進むとご神木の大楠があります。

さらにさらに正面の進むと鳥居があり、奥に本殿が見えます。

この鳥居の下でカメラを抱えた少年とすれ違いました。少年は一人で来ているようでした。私が本殿に向かっていたのですが、すれ違うとき、少年は反転して、鳥居下右端に立ち、本殿に向かって深々と頭を下げていました(涙)

大麻比古神社は徳島県屈指のパワースポットとされていますが、本殿前のこのあたりはのんびりとした時間の流れのない静かな場所です。大楠は一見の価値はあります。

子どもの頃から見慣れている神社であり、当日は日差しも強かったので、パワースポット的な何かは感じませんでした。 本殿裏はもう少し神秘的です。

危険!サル出没中

サルはいます。この日は出会いませんでしたが、前々回来た時は丸山稲荷の裏側で遭遇しました。

後で出てきますが、丸山稲荷はまっすぐな階段を上った先にあるのですが、裏側をらせん状に道が降りていて、土道ですが下まで降りることができます。

そのらせん状の道を降りようと曲がった瞬間数頭のサルがいました。すぐに気づいたので、くるっと反転し元の道を引き返しました。ちょっと怖かったです。

もう一度はちょっと昔になりますが、大麻山山頂に向かう道です。大麻山に登ろうと神社の脇にある山道を少し進むと、道の真ん中正面にサルがこちらを向いて座っています。この時もすぐ反転して、来た道を引き返しました。

パワースポット巡りもいいですが、特に女性の方、子供連れの方は十分に気をつけてください。

大楠のあたりや本殿前は大丈夫です。本殿裏のめがね橋あたりは要注意です。 

本殿と拝殿

今まで本殿と書いていたのは拝殿のことです。本殿は神さまの鎮座される場所で、一般の方は入ることができません。宮司も特別な場合を除いて容易に出入りできる場所ではないそうです。

大麻比古神社の正面にある建物は拝殿になります。そして、拝殿の裏側(正しい表現かどうか?)に本殿があります。

こちらが拝殿です。この日はあまり人も参拝しておらず、数人しか見かけませんでした。本当に天気もよくて、時間が止まったような心地よい場所でした。

拝殿の左側は控え室とかお守りの販売所とかがあって、右回り(左から入る)に拝殿の後ろにある本殿へ向かうには、大きく迂回しなければなりません。

建物で分かるように右側から本殿に向かうのが正しいようです。本殿に向かうといっても外側から眺めるだけですが。

調べたところ、左回り(時計回り)は葬式回りだそうで、縁起が悪いとされています。当然、右側より本殿に向かいました。反時計回りが正しいと知っていたわけではなく、建物がそういう形だからです。間違えなくてよかった。

本殿は神秘的

右側から入っていくと、少し空気感が違って感じられます。厳かな感じ。大木が茂っており、日陰になっているせいかもしれません。

大麻比古大神と猿田彦大神が鎮座されてる本殿。 本殿に向かう道には、豊受社、山神社、中宮社の社があります。画像はありません。

めがね橋とドイツ橋

本殿の奥、拝殿から見ると左側の奥に丸山稲荷に向かう道があります。その途中にあるのがめがね橋とドイツ橋です。

めがね橋とドイツ橋は、第1次世界大戦時、中国青島で捕虜になったドイツ兵953人が、大麻比古神社近くの坂東俘虜収容所に収容されました。

ドイツ兵たちは地元の人たちと交流し、バターやチーズの製法が伝えられました。鳴門市内には今でもドイツ軒というパン屋さんがあります。

1918年6月1日。徳島県鳴門市にある板東俘虜(ふりょ)収容所でドイツ兵捕虜によって、ベートーヴェン「第九」交響曲がアジアで初めて全曲演奏されました。

めがね橋とドイツ橋はドイツ兵が帰国の際の記念として、当時のドイツの土木工事の技術をもって作られたものです。下の碑の丸写しですが・・・。

この物語は松平健さん主演で映画にもなりましたね。

 めがね橋

拝殿の左側の奥に入っていくと、右側に小さな池があり、めがね橋がかかっています。この池もドイツ兵の捕虜が造ったもののようです。めがね橋はドイツ橋と違って小さくて橋脚が真ん中にあるので丈夫にできています。今でも橋の上を歩くことができます。

この辺は誰もいません。いるとすればサルくらいです。少し怖いくらい静まり返った場所です。ほんとにいつ来ても誰もいません。

心願の鏡池って言うんですね。初めて知りました。では、めがね橋を渡ってみます。

ドイツ橋

元に戻って、右側にめがね橋を見て、真っ直ぐ進むとドイツ橋があります。残念ながら現在ドイツ橋は崩落の危険がありますので、渡ることはできません。昔来たときは何度か渡りました。まあ、古くから生きてる者の特権でしょう。

現在は左側から迂回して向こう側に渡ることができます。幸いなことにドイツ橋を側面から見ることができるわけです。ドイツ橋はめがね橋に比べてかなり大きいです。大きいといっても人がすれ違える程度ですが。

橋の下をくぐると異世界に行けそうですが、くぐってはいけません。貴重な文化遺産です。迂回コースから外れないで眺めましょう。

このあたりは紅葉が生い茂っています。秋に来ると大変美しい紅葉が見られます。

この日はいいお天気で気温もそこそこ暖かかったのですが、このあたりはシーンと静まり返っていて、心なしかひんやりとしています。

人の姿はなく、たった一人、世界に取り残されたように感じる場所です。不意に人の姿が見えたりすると返って恐ろしいと感じるかもしれません。

「まむし」に御注意下さい

この辺では昔から「ごはっそう」というのですが、五月、八月には「まむし」が出ます。足元には十分注意して散策してみてください。

神さま・・・サル・・・まむし・・・ヒト・・・怖。

丸山稲荷社・丸山社

今回の大麻比古神社行の最終地は、丸山稲荷社と丸山社です。

一説によれば卑弥呼の墓であるというこんもりと盛り土したような小山の上に、丸山稲荷社と丸山社はあります。

邪馬台国が四国にあるという説は古くから聞きますが、詳しくは知りません。うろ覚えの知識では失礼に当たりますので書きませんが、興味はありますので、隠居したら研究したいなとは思っています。

隠居?そろそろですかね。

邪馬台国東四国説 女王の都する所 阿波国板野郡大麻山

ドイツ橋を渡ると(渡れませんが)ほぼ正面に朱塗りの鳥居が見えます。その鳥居をくぐると、右斜めに石段登っており、登り詰めると、左側に丸山稲荷社、右側に丸山社があります。

画像にオーブが写り込む

この石段の右脇にわき道があって、左にぐるっと回って丸山稲荷社の裏側に登れます。

画像では分かりにくいですね。順番が前後しますが、頂上からの道がこちらです。

以前、ここから下ろうとしてサルに出くわしました。 なんかオーブのような光が入ってますね。白のオーブはポジティブなものとされていますので良しとしましょう。しっかりお参りしておきましたし。

頂上の左側に丸山稲荷社があります。お稲荷さんです。朱塗りの鳥居が連なっています。鳥居の連続は意味があるのでしょうか?それとも寄進者が競合したのでしょうか?

特に連続に意味はないとのことです。稲荷神社は商売繁盛の神さまです。

反対側には丸山稲荷社と向かい合うように丸山社があります。

ここにも何やら黒い影が写っていました。こええ・・・。

丸山社についてはあまり情報がないのでよく分かりません。当地は丸山古墳跡と書かれていました。丸山神がお祭りされています。 

最後に御神木の楠(くすのき)

最後に拝殿裏から拝殿前に出て、大楠に別れを告げました。

大麻比古神社に滞在していたのは1時間くらいのものでした。神社のある大麻山にもいつか登ってみたいのですが、前にも書いたようにサルに止められているので登らないほうがいいのかもしれません。

それにしても、丸山稲荷社と丸山社のある小山は神秘的です。前回はサルに遭遇、今回も画像にオーブが写ったりして何かシンクロするものがあるのでしょうか。

サルは猿田彦神の使いだったりして。

最後に拝殿前のファンキーな狛犬の画像を。

オカルトっぽいの書きます

丸山稲荷社のオーブと丸山神社の黒い影

丸山稲荷社のオーブですが、他にも写ってたので掲載します。

これは丸山神社の上り口をドイツ橋から撮ったものです。太陽は左の方にあります。オーブというにはちょっと弱い感じですが、センターに光が入っています。神秘的な光。 続いて丸山神社に写りこんだ黒い影です。

これはほぼ同時期に連続して撮影したものです。オーブはなんとも感じませんでしたが、この黒い影はちょっと不気味です。何者かが現れたのでしょうか?それとも単なる画像のエラー?

丸山稲荷社のオーブ。

この2枚も連続画像です。というか、上記4枚が連続画像です。下の2枚の画像は上から光がさしていますが、これは太陽方向(逆光)です。この2枚を見ると、太陽の光が写りこみ、丸いオーブのような光が光学上でき上がっているのかもしれません。

1枚挟んで下記の画像です。

これは上の方で掲載したもの。丸山稲荷正面から右に振った画像です。

オーブは何とも感じないのですが、丸山神社の黒い影はなにか怖いものを感じます。

オーブは光の加減と、カメラレンズの汚れなどが考えられますが。黒い影はそんなものではないと思います。汚れなら毎回写りこみますよね。

シャッターを切った瞬間に、ピントの合っていないカメラ近くに落下物があったのかもしれません。

怖いものを怖いと感じ、怖い怖いと思い出したら、恐怖に囚われてしまいます。ピント外に落ちてきた黒いものがタイミングよく映りこんだと考えることにします。

邪馬台国女王卑弥呼の墓

丸山神社はこんもりとした小さな山になっており、古墳跡とされています。人工的に何者かを埋葬した場所であり、神社として祭られている現実を見ても、この場所は神様がいらっしゃる場所です。

邪馬台国の女王、卑弥呼の墓とされている方もいます。画像などをバシバシ撮るような場所ではないのかもしれません。ただ、この場所は正直、ちょと怖いのです。毎回、何かあります。それこそ、私自身が恐怖に囚われており、その恐怖心が人知を超えたモノを呼び込んでいるのかもしれません。

卑弥呼の墓?邪馬台国東四国説

あとだし

私はオカルトは好きですが、信じてはいません。オーブと書いた、この光の輪も、光学的に説明が出来るものと思っています。黒い影も落下物でしょう。そう考えると、何もかもつまらなくなりますので、今回はファンタジーとして治めたいと思います。 

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