昨日に続いて阿波風土記の話です。
阿波風土記が行方知れずになったのはある人物がか関わっていると考えられています。その人物は、幕末から明治にかけて活躍した、阿波国の国学者、小杉榲邨(こすぎすぎむら)という人です。
小杉榲邨(こすぎすぎむら)について聞いてみます。
ChatGPT:小杉榲邨は、幕末の動乱期に生まれ、幕末から明治維新期にかけての社会的な変革の中で、国学の再興を志向しました。彼は、古典文学や国史を研究し、特に日本の伝統文化や神道に深い関心を持ちました。
小杉榲邨の代表作には、「神代国譲りの大義」や「新編天之御中主神伝」などがあります。これらの著作は、古代の神話や伝承、神道に関する研究を通じて、日本の伝統や精神を再評価しようとする彼の思想を反映しています。
小杉榲邨の著書について問うてみましたが、阿波風土記に関しての書物はないと言われました。
徳島県出身の山口敏太郎さんが寄稿したライブドアニュースには、
『阿波風土記』には幕末のある学者が関わっている。幕末から明治にかけて活躍した阿波出身の国学者・小杉榲邨(こすぎすぎむら)がその人である。彼の代表的な著書が「阿波国徴古雑抄」である。この書物は阿波関係の古書、古文を網羅しており、阿波徳島の古文書に詳しい人物であった。
ライブドアニュース
この名著で名前が全国に知られていた小杉は、邪馬台国阿波説に絡み、キーとなる出版に関する騒動を起こしている。明治5年、小杉が『阿波古風土記考証』を出版した時、何故か回収騒動に発展しているのだ。しかも、当時蜂須賀家と徳川家にあったはずの『阿波風土記』の原本さえも、所在が不明になってしまったのだ。
阿波風土記考証という著作があったのは間違いないようです。
ChatGPTがとぼけるので、阿波風土記考証について問うてみると、
ChatGPT:「阿波古風土記考証」は、小杉榲邨(こすぎ くつそん)によって著された著作の一つです。この書籍は、徳島県(旧阿波国)の地誌や風土、伝承などに関する研究をまとめたものです。
この著作は、阿波国の地域に関する貴重な情報を提供し、その地域の文化や歴史を理解する上での重要な資料となっています。また、小杉榲邨の国学や地誌学に対する独自の見解や解釈も含まれています。
「こすぎくつそん」という読みになっていますが、間違えてるのかそうともいわれるのか不明です。
ChatGPTが吐きました。
回収騒動に発展したということですが、つまり時の政府あるいは天皇家にとって知られてはまずいことが書かれていたものだと推察されます。
天皇家のルーツに関してのことでしょうか?
秘匿されているので想像するしかありません。
阿波風土記はこの騒動があるまでは、誰でも見ることができたそうですが、それが見られなくなったということです。それまでは一部の学者等が閲覧するだけだったので放置状態であったものが、有名な国学者である小杉榲邨が、その内容について一般大衆に暴露することになったので、これはヤバイとなり、ついでに阿波風土記まで回収隠匿してしまったということだと考えられます。
回収騒動後の小杉榲邨がどうなったのか知りたいので、死亡した年を聞きました。
ChatGPT:小杉榲邨(こすぎ くつそん)の死去年は明治16年(1883年)です。
とのことです。回収騒動が理由で抹殺されたのではないようです。わかりませんが。
ちなみに、亡くなった時の年齢は110歳だったようです。
ChiatGPT:小杉榲邨は生涯を通じて、生まれた安永元年(1772年)から没した明治16年(1883年)まで生き続けました。そのため、没年の1883年から生年の1772年を引くと、小杉榲邨は110歳で亡くなりました。
ほんとかな?というので、Wikipediaで調べてみました。
小杉 榲邨(こすぎ すぎむら、天保5年12月30日(1835年1月28日) – 明治43年(1910年)3月29日)は、国学者。阿波国(現徳島県)出身。
Wikipedia
ということで全然違いますね。たぶんWikipediaの方が信用できるんだと思います。
ChatGPT信用できねー。(こすぎ くつそん)って別人だろうか?
明治4年の回収騒動以来もお役所勤めをしておりますので、なんら影響なしのようです。
なお、Wikipediaには阿波古風土記考証についての記載はありませんでした。阿波古風土記考証というワードでもそのページはありませんでした。禁書扱いなのでしょうか。
次は阿波古風土記考証について調べてみようかなと思っています。
まあ今日はこのへんで・・・
追記
阿波古風土記考証については阿波風土記ともども行方知れずのようで、調べようがありませんでした。
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